アルフィーの曲に支えられた、私の競技人生 ブログ | 加納由理オフィシャルサイト

facebook twitter amebablog instagram

パンダブログ

2018年3月30日

アルフィーの曲に支えられた、私の競技人生

こんにちは。

皆さんは、子供の頃に何かを見て、心を打たれ、その後の自分に影響を及ぼした記憶ってありますか?

誰でも、必ずしも一度はあるかと思います。

例えば、テレビで活躍しているスポーツ選手にを見て、そのスポーツをはじめたとか、こんな仕事をしてみたいとか、色々ありますよね。

今回のブログでは、将来、私がマラソン選手になりたいと思った出来事、その出来事によって、私はどんな行動を起こしたのか。

タイトル「アルフィーの曲に支えられた、私の競技人生」と題し、私が将来マラソン選手になっていく中で、常に自分の根底にあったもののご紹介をさせていただきますね。

はじめてお伝えする内容になっていますので、読んで下さった方がどんな反応をされるか気になりますが、楽しんで読んでいただけると幸いです。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

はじまりは1987年の大阪国際女子マラソン

皆さんは、毎年1月に大阪で開催されている、大阪国際女子マラソンをテレビでご覧になったことありますか?

今年は、ダイハツ所属の松田瑞希選手が初マラソンで2時間22分44秒で、優勝しましたね。

2020年の東京オリンピックへ向けて、楽しみな新生現ると言った感じで、今年も大変盛り上がった大会でした。

その、大阪国際女子マラソンのレースを私がはじめて見たのは、1987年大会。

このブログのタイトルにもしている、アルフィーさんが大会のイメージソングとしてはじめて歌われた年です。

曲名は「夢よ急げ」

まだ、8歳でしたので、歌詞の意味とかは分からず、大阪城を駆け抜ける女性ランナーのバックで流れる、アップテンポな曲がランナーとマッチして、それがかっこよくて、一瞬にしてその映像に引き込まれてしまったのです。

一緒に見ていた両親に「あれいいなー。かっこいいなー。私も、大きくなったらあれやりたい。」と言っていたのです。

両親はどう思っていたのかは分かりませんが、87年にみた大阪国際女子マラソンを境に私は、アルフィーの曲をバックに走ることへ憧れを抱き始めたのです。

テレビ放送を見ては、イメージトレーニング

1987年の大阪国際女子マラソンを見たことをきっかけにマラソンをやってみたいと思った私でしたが、9歳や10歳の私は、まだ、テレビの実況の解説の内容などほとんど分からず、アルフィーの曲をバックに走る自分をイメージして自分を盛り上げるくらいでした。

でも、そのイメージするのがすごく楽しかったのです。

今思うと、小学生の頃は相当妄想癖が激しい子供だったなと思います。

中学に入ってからは、レースの内容や解説の言葉の意味が理解出来るようになってきました。

まだ、マラソンを走れる年齢ではないけど、具体的に自分の日々の練習の中でレースのイメージをするようになったのです。

小学生時代の思うだけの憧れから、中学生になり自分の走る姿を具体的にイメージする、願望に変わった頃ですね。

どんなイメージをしていたのかというと、当時一線で活躍されていた、有森裕子さん(1992年バルセロナオリンピック銀メダル、1996年アトランタオリンピック銅メダル)、浅利純子さん(1993年シュツットガルト世界選手権金メダル)の走りもみて、自分がマラソン選手として走るイメージを鮮明にしていったのです。

オリンピックや世界選手権で活躍するためには、厳しい練習を乗り越えなくてはならないのですが、中学生の私は、そこにいくまでに厳しい練習がどれだけ必要かは分かっておらず、有森さんや浅利さんのような位置までいければ、アルフィーの曲をバックに走れるというイメージすることだけが、当時の私にとって精一杯できることなのでした。

その中でも、しっかり覚えているのが、1992年大会バルセロナオリンピックの選考会です。

同じ兵庫県出身の小鴨由水さんが、2時間26分26秒で初マラソン初優勝しました。

1992年の曲は「some day」

歌詞に出てくる「some day きっといつか 届かない夢でもこの手で掴むさ someday soon!」のサビが中学生の自分に刺さって、やっぱり実現したい、そのためにはちゃんと練習しないといけないなと思ったのです。

もしかしたらダメかも知れない

小学生から陸上競技をはじめ、中学の部活も陸上部に入った私でしたが、まだ、全国で活躍出来るような選手ではなかったのです。

中学では、3年間ジュニアオリンピックには出場はしていましたが、3年間全て予選落ち。

大会に参加しただけで終わっていました。

高校は、駅伝強豪高の須磨女子高校(現須磨学園)に進みましたが、個人目標の全国インターハイには高校3年間で一度も出場することが出来ませんでした。

思うように記録が伸びない、結果が残せない現実が、8歳の頃に抱いた、アルフィーの曲をバックに走ることへの憧れに、少し陰りが見えたように感じました。

現実は厳しいものでしたが、きつい練習の時こそイメージを膨らませていったのです。

なぜなら、その方が自分の気持ちが前進するし、自分は将来、必ずこうなれると信じれるような気がしたからです。

実現に向かって、再び熱くなる

高校まではこれと言って目立った結果を残すことは出来ませんでしたが、大学に入り、自分のスタンスに合うコーチとの出会いによって、大学では、3、4年生の全日本インカレで優勝、ユニバーシアードでははじめての日本代表として走り、10000mで銀メダルを獲得することが出来ました。

高校時代にはインターハイにも出場することすら出来なかった私が、大学では全日本チャンピオンになりました。

選ぶレースは、学生の大会にこだわらず、実業団選手とのレースに多く出るようにしていました。

一緒にレースを走る実業団の選手は、すでにフルマラソンのレースの一線で戦っている選手もいます。

そんな選手と一緒に走ったことで、将来自分もフルマラソンを走るというイメージ、そして自分は選手としてこれからどうなっていきたいのか、どんな選手になりたいのか、自分がなりたい選手像が見えるようになってきたのです。

また、大学3年生の2000年大阪国際女子マラソンは、実際現地で補助員をしていました。
1年後に同じチームの先輩になる、弘山晴美さんの走りを生でみて、その走りに感動し、自分も将来マラソンで活躍するような選手になると強く思いました。

8歳の時に抱いた憧れが、実現できそうな予感がしてきて、その期待に心が高まってきたのです。

20年の時を経て

私の初マラソンは、2007年の大阪国際女子マラソンです。

28歳での初マラソンと、一般的にみると遅めかも知れないですね。

何でそうなったのかと言うと、マラソンにチャレンジしようと思うと、怪我をしたり、貧血になったりで、タイミングが合わなかったのと、私自身、マラソンで戦えるという覚悟ができなかったからです。

ですから、2007年28歳での初マラソンは、マラソンで戦うという覚悟ができた1本目のレース。

ワクワクとドキドキが入り混じって、程よい緊張感の中で走れたレースで、マラソンってこんなに面白いんだと実感しました。

→大阪国際女子マラソン回顧録はこちら

肝心の大阪城内でアルフィーの曲が流れるのは、約2時間30分のレースの中の、約4分間。

レース中は曲がどのタイミングで流れているとか、どんな風に映っているのか分かりませんでしたが、レース後に自分の走っている映像をみて、これが、8歳の時から20年間思い続けてきたことが叶った瞬間かと思いました。

曲は「Dear my Life」

歌詞
「子供の澄み切った瞳はかつての君だよ」
「挫折こそ変われるチャンス 涙はやがて乾く」
「今限られた時間の中で 君の努力は無限にある 惑わされずペースを崩さず 生きろ!Dear My Life」
「たった一度の人生を たった一度の物語を 自分らしく生きろ!Dear My Life」

ここに来るまでの20年間の自分と歌詞がリンクいるような気がして、ものすごく感動しました。

これから始まる、マラソン選手としての人生を大事にしようと思いました。

20年前にテレビで見た4分間が自分の心を動かし、将来マラソンランナーとして活躍したいと思った瞬間。

私はこの4分間が欲しくて、そのために頑張って練習して、その中でうまくいかないことも多くて、ここまで来る時間は長かったけれど、本当に実現したと思ったら鳥肌が立ちました。

諦めずに走り続けて良かったなと思いました。

最後に

これまで、ブログの中で自分の生い立ちや出場したレースの回顧録をたくさん書かせていただいてきました。

そして、今回は、私が一人のランナーとして、常に自分の根底にあった想いを書かせていただきました。

自分でも書きながら、色んな想いが込み上げてきました。

8歳の時にそれをやりたいと思ったのも一瞬、28歳で実際に想いが叶った瞬間も一瞬。

でも、私はマラソン選手としてこの一瞬の想いを叶えたかったんだなと。

アルフィーの大阪国際女子マラソンでのテーマソングは、今年の大会でラストということでした。

私がはじめてみた、1987年から2018年の31年間も歌い続けてくれるとは思ってもみませんでしたし、実際私が走る2007年までにも20年ありますから、その間も歌い続けてくれていた、それも思ってもみない出来事でした。

マラソン選手になりたい、そして、あきらめない気持ちを持ち続けさせて下さった、アルフィーには感謝です。

最後まで、読んでいただきありがとうございました。

私自身は、ランナーとしてこれからも走り続けていきますので、これからもよろしくお願いいたします。

このブログ、本人たちが読んくれたら最高です。

直接会って、感謝を伝えれたら嬉しいですね。


関連記事