リオ五輪7位、競技歴25年。日本記録保持者アスリート澤野大地が現役を続ける理由|独占インタビュー1万字 ブログ | 加納由理オフィシャルサイト

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パンダブログ

2018年4月23日

リオ五輪7位、競技歴25年。日本記録保持者アスリート澤野大地が現役を続ける理由|独占インタビュー1万字

トップで活躍する選手は、人間力が優れている。

今冬、韓国・平昌で開催された、冬季・平昌オリンピックは、記憶に新しいと思いますが、スポーツ界において、トップで活躍る選手の、競技やインタビューの言葉に込められた思いに共感された方も多いのではないでしょうか。

インタビューを聞いていても、競技以外のことでも素晴らしさが垣間見え、トップアスリートとして競技力以外の人間力がないと「ここ一番の大勝負には勝てないな」と思わされました。

今回のアスリート対談第5弾は、陸上競技棒高跳びの現日本記録保持者の澤野大地(さわのだいち)選手です。

澤野さんは、37歳にして今も現役アスリートとして活躍している選手。
トップ選手として、10代・20代・30代と長年に渡り活躍しつづけているアスリートは貴重な存在だと思います。

澤野さんの話を聞いていると、長年トップ選手として活躍できている理由が見えてきました。

対談内容は、アスリートに限らず、ビジネスにおいてでもお役に立てる内容になっていますので、是非、読んでいただけると幸いです。それではどうぞ、よろしくお願いいたします。

澤野大地選手プロフィール

1980年大阪生まれ。陸上競技棒高跳び日本記録保持者(記録は5m83cm)。2017年リオデジャネイロ五輪では日本人初の7位入賞を果たす。

競技を始めた時は長距離選手だったが、中学の顧問の先生の勧めで棒高跳びをはじめるとメキメキ記録を伸ばし、高校2年の京都インターハイ優勝。翌年高校3年となった丸亀インターハイでは5m40cmの日本高校記録を更新し連覇。

世界大会は、オリンピック3回(2004年アテネ、2008年北京、2016年リオデジャネイロ)、世界選手権(2003年パリ、2005年ヘルシンキ、2007年大阪、2009年ベルリン、2011年テグ、2013年モスクワ)に出場。

37歳となった現在も現役で競技を続けながらコーチとしても若手の育成にも力を注いでいる。

棒高跳びをはじめたきっかけ

加納:澤野さん、今回はどうぞよろしくお願いいたします。
以下、普段呼ばせていただいている澤野君で呼ばせていただきますね。

現在、日本の棒高跳の第一人者として活躍されている澤野君ですが、陸上競技、又は棒高跳びをやろうと思ったきっかけは何だったんですか?

澤野:最初は走るのが好きで、小学校のマラソン大会でも校内で2番だったんです。
走るのが好きで、昼休みもずっと走ってましたね(笑)

学校で、走るとマスを1個塗れるっていうのをやっていて、それを校内で「われ先に」と色をいっぱいにすることを競っていたんです。

早くマスをいっぱいにしたくて、休み時間はずっと走ってました(笑)。だから、中学でも陸上部を選びました。

最初は、棒高跳びは知らなかったので、長距離をやっていたんです。

加納:確かに、棒高跳びは知らないですよね。

澤野:長距離以外でも、たまに走り高跳びもやっていたんですけど、走るほうが好きで長距離をやっていました。

長距離が校内で2番だったから、学年でマラソン大会トップのやつと一緒に長距離をしていたんですよ。

加納:長距離をやっていたのは意外ですね。私が澤野君を知った時は、もう、棒高跳びのスターでしたから。

なんで棒高跳びを始めようと思ったんですか?

澤野:僕もたまに友達のポールを借りて、平均台の棒を使って飛び越えてみたり、砂場で棒を使って棒幅跳びをしてみたりしていて、ちょっと楽しそうだなと思っていたんです。

そうしたら、夏休み前のある日、顧問の先生に呼ばれて、「澤野、棒高跳びやらないか?」って。

体育の授業で、僕が体操や鉄棒で学年トップの成績で、「蹴上がり」という技もすぐにできたので、「こいつはセンスがある」と思ってくれたみたいです。

加納:ちょっと練習すれば何でも出来てしまう、センスのあるスポーツ万能な少年ですね。私はまっすぐ走り続けるしか能がなかったので羨ましいです(笑)。

澤野:陸上競技の中でも棒高跳びは踏み切った後、むしろ体操競技なんですよね。

棒高跳びの元世界記録保持者のセルゲイ・ブブカと女子世界記録保持者のエレーナ・イシンバエワも元体操の選手で体の扱い方は卓越しています。

実際に始めてみたら記録がどんどん伸びていって楽しくなってのめり込んでいきました。

※セルゲイ・ブブカ(国籍:ウクライナ)→1988年ソウルオリンピック金メダリスト。世界選手権は、1983年ヘルシンキ大会から1997年アテネ大会まで6連覇。
元棒高跳び世界記録保持者で自己記録は6m14cm。1985年世界ではじめて6mを突破。

※エレーナ・イシンバエワ(国籍:ロシア)→2004年アテネオリンピック、2008年北京オリンピック金メダリスト。世界選手権は、2005年ヘルシンキ大会、2007年大阪大会、2013年モスクワ大会で金メダル。現棒高跳び女子世界記録保持者で記録は5m09cm。2005年女子選手ではじめて5mを突破。

加納:「好きこそものの上手なれ」という言葉がありますが、陸上競技のような記録を競う競技においては「上手こそものの好きなれ」というか、得意な競技を選ぶから記録が伸びていき、楽しくなるというのはありますよね。

私は陸上競技を始めた時から長距離だったので、短距離とか跳躍とか憧れますけど、自分に合わない競技をやっていたら競技を長くつづけることはなかったと思います。

澤野君は得意なものが巡り巡って、それが棒高跳び選手になるきっかけになったというのは面白いですね。

棒高跳びをはじめて夢がどう変わっていった?

加納:澤野君は棒高跳びを始めた子どもの時から自分の将来とかイメージできていたんですか?自分の夢とか目標が変化していきましたか?

澤野:全然イメージなんてできていないですよ。

でも、小学生の頃からスポーツが好きで、「漠然とスポーツ選手になりたい」とは思ってました。だから、夢と言われると「オリンピック選手になりたい」とかですかね。

でも、やっていたスポーツは陸上、バスケ、水泳、体操とか、季節によって駆り出されて色んなクラブに所属していました。

だから、棒高跳びなんて知らないし、想像もしていないですね。定期的にやっていたのは、体操クラブでバク転したりしてました。

あと、マスを塗るのに昼休みは走ってましたね(笑)。

加納:スポーツ万能な少年だったんですね。色んなスポーツをやったことが、今の地盤になったんでしょうね。

小学生の頃からオリンピックに出たいと思っていたということでしたが、実際、自分がオリンピックを目指そうと思ったきっかけみたいなものはあったんですか?

澤野:印象的に覚えているのが’88年のソウルオリンピックです。

その時は、親にオリンピックのビデオ録画を頼まれて「何で俺が撮らなきゃいけないんだ?」くらいに思っていたんです。

でも、日本選手が活躍するのを見て、「オリンピックってすごいんだ」と思ったんですよね。

オリンピックを見たことで、スポーツ好きな少年の中に、「将来はこの舞台に自分が立ちたい」という気持ちが芽生えたんです。

加納:私も最初のオリンピックの記憶は、ソウルオリンピックからです。

その頃から長距離をみるのが好きで、松野明美選手(当時の10000m日本記録保持者)の走りを見たいがため、テレビにかじりついていました。

澤野:ソウルオリンピックの時はまだ、棒高跳びに出会っていないですし、中学で棒高跳びを始めたけど、そこでもまだ棒高跳びでオリンピックを目指すとまでは思ってないですね。

競技を続けていくうちに、はじめて世界が見えたのは、高校3年生の丸亀インターハイで5m40cmの高校新を出して勝った時ですかね。

「次は世界だ」「世界にいきたい」という思いが強くなっていったんですよね。

世界を目指す上で大切な目的設定

加納:高校3年生のインターハイで5m40cmの高校記録を出したわけですが、それまでの高校記録は5m22cmですよね?

私なら、1cm、2cmみたいに少しづつ記録を出していきたいと思うのですが、いきなり15cm以上もの記録を塗り替えようというモチベーションはどう持っていったんですか?

澤野:高校の時、自分の上には中嶋さん、上田さんという2人の棒高跳びの先輩がいたんです。
2人の先輩がいたから成田高校に入ったし、先輩たちを目指していました。


成田高校時代、澤野選手は左端。

高校時代、瀧田先生に言われたのが「あんちゃんらは(中嶋先輩、上田先輩)、5m25cmって言っているけど、澤野は5m40cmを目指せ、世界を目指せ。」って言われたんです。

※瀧田先生は、澤野さんの成田高校時代の顧問だった、越川先生の高校時代の恩師。澤野さんは直接の指導は受けていないが、瀧田先生の主な教え子は、女子マラソンの増田明美さん、男子ハンマー投げ2004年アテネオリンピック金メダリストの室伏広治さん。

澤野:瀧田先生の言葉がスッと入ってきて、その時の高校記録は5m22cmだったんですけど、そこは気にしていなくて、自分が目指す記録は5m40cmだけでしたね。

だから自分に甘んじること無く、自分の持っていた高校記録も自分で塗り替えました。

加納:話を聞いていると、高校生の時点でかなり競技に対する意識が高くて、関心してしまいます。結果を出すために明確な目標を意識させる先生もすごいですね。

先生も、上を目指せる選手にしか言わないと思いますが、「高い目標を意識させてくれる」「ここを目指せるぞ!」とか指導者に言ってもらえるとうれしいですよね。

澤野:高校時代、目標設定を明確に記入する目標ワークシートがあったんです。

目標達成するまでのステップが10あって、それを自分で記入するんです。

目標達成する時期、目標を達成した時の自分にとっての価値、目標を達成するための計画など細かく目標設定をするのですが、目標設定がぼやけていると先生から返されて、何度も書き直しをするのですが、とにかく目標設定の段階から徹底していましたね。

ワークシートを書くことで、長期・中期・短期の目標ができ、達成した時の価値を見いだせるんですよね。

成田高校は、インターハイ優勝が普通で、入った時点でインターハイ優勝がまだどのくらい高い山なのかわからない時からそれが目標と言わされるのですが、言い続けていると、それが普通になってきて、そこに見合う努力をするようになり、結果実現するんですよね。

加納:前回インタビューさせていただいた、大島めぐみさんも高校に入った時点で、インターハイで総合優勝するのは当たり前で、総合優勝するために自分がするべきことを徹底的に考えたさせられたと言われていましたね。

目標設定を自分自身に落とし込むことによって、それが高い目標であってもそれが当たり前と思うようになるんですね。

実際、高校3年生の丸亀インターハイで5m40cmの高校新で優勝して、目標達成した時は、どんな気持ちになりましたか?

澤野:実は高校3年のインターハイと同じ時期にフランスで世界ジュニアが開催されていたんです。
日程的に両方出るのが無理で、インターハイか世界ジュニアかを選ばなくてはならなかったんです。

先生と相談して、「みんなと一緒に跳ぼう、みんなの声援を受けながら跳ぼう」と話してインターハイを選びました。実際にみんなの前で高校記録を出せたのでとてもうれしかったです。

世界ジュニアの方は、5m50cmくらいが優勝でした。記録だけで言うと、5m40cmだと3番に入れる感じでした。 「こんな良い記録出したのに、まだ3番か。」って思ったのを覚えてます。

しかも、実際自分がフランスで戦っていたら、5m40cmは飛べなかったと思うんですよね。自然と「もっと上へ」って思っていました。

加納:高校生で目標設定がしっかり出来て、仲間に感謝するとか競技に対しての姿勢、目標達成するための気持ちの持っていき方、更に達成しても満足することなく、その先を見ている姿勢。

今の私でも見習いたいところがたくさんですね。

世界で戦って見えてきたもの

加納:実際に初めての日の丸を付けて大会に出たのはいつですか?

澤野:初めての日の丸は、高校2年生の時にタイのバンコクで行われたアジアジュニア選手権です。

自分にとっては初めての海外遠征で、お腹を壊しちゃって体重もかなり減って全然身体に力が入らなくて、記録も4m80cmで、惨敗しました。

当時の僕は5m20cmはコンスタントに飛べていたので、全然ダメでしたね。

加納:初めての海外遠征で、食事や気温、周りの環境がいつもと違う中での調整は難しいですよね。
私の初めての海外遠征は大学3年生のユニバーシアードでした。

3週間もヨーロッパに滞在だったので、自分で気をつけているつもりでも、本番のレースの時には少し体重も増えていてベストコンディションでは望めませんでしたね。

でも、この苦い経験がその後の競技生活に生きてきて、長く競技を続けれたんだなと思っています。

澤野:僕も高校生の時の経験が今でもバックボーンになっていることってたくさんありますね。

加納:これまで、約20年日本の棒高跳びの第一人者として活躍してこられたわけですが、世界を目指すようになり、実際に世界に出て、更にそこで結果を残すようになっていくわけですが、目指すものというのは、自分の中でどう変化していったんですか?

澤野:10年前目指していたものと、今目指すものってもちろん変わっています。高校の時に夢見てたのはオリンピックです。


2004年アテネオリンピック

そして、社会人になって、2004年のアテネオリンピックではじめて代表になりました。
アテネオリンピックでは、決勝に進んで結果は13位でした。

アメリカの選手2人が金メダル争いをしていたんです。

自分も同じファイナリストなのに、同じ舞台じゃないみたいだったんです。自分は眼中にないというか。同じファイナリストでもここまで違うのかと思いました。

加納:その時、メダル争いをしている2人とは記録だけでいうと、どのくらい差があったんですか?

澤野:ベスト記録の差で言うと15cmくらいですね。
5m80が自分、5m96cmを跳ぶとメダル。でも、すごいのは記録そのものではなく、どんな状況でも必ず記録を出してくるという勝負強さです。

オリンピックで勝つには、圧倒的な強さが必要で、彼らに意識される、勝負になると絶対に負けない強さが欲しいと思いました。

加納:確かに、オリンピックや世界選手権になると記録以上に勝負になりますよね。

長距離選手で言うと、5000m、10000mのファラー選手は記録だけ見ると世界ランキングはそこまで上位ではないのに、勝負のレースでは必ず勝ってきますからね。

※モハメド・ファラー(国籍:イギリス)→2012年ロンドンオリンピック5000・10000m金メダル、2016年リオデジャネイロオリンピック5000・10000m金メダル、2011年テグ世界選手権5000m金メダル・10000m銀メダル、2013年モスクワ世界選手権5000・10000m金メダル、2015年北京世界選手権5000・10000m金メダル、2017年ロンドン世界選手権5000m銀メダル、10000m金メダル、今年2018年4月のロンドンマラソンでマラソンへ本格挑戦することを表明。

澤野:アテネオリンピック出場をいう夢を叶えて、すぐに「世界で戦える強さ」が欲しいと夢が次のステージにシフトしていました。

だから、2005年から積極的に海外遠征に出始めました。

2008年の北京オリンピックはアキレス腱の怪我で思い通りにいかずに5m55cmで予選落ちし、次の2012年ロンドンオリンピックを目指しました。

春先に標準記録を突破しながら、選考会でわずかの差で勝てなくて、代表に選ばれませんでした。

でも、自分は次もあると思っていました。

加納:2012年って、32歳ですよね。
私だったら、気持ちが持たなくてもう引退を考えると思います。

澤野:そうなりますよね。
周りからもそう思われていたと思います。

高校の時は「夢」だったオリンピックが、実際にオリンピックに出たことで、自分の中でオリンピックは「戦う場」に変わっていたんですよね。

ロンドンの時が32歳で、次のリオの時には36歳なんですけど、オリンピックで戦うことを目標に描き、その過程を踏んできた人間が、最後にオリンピックに出ないで引退はないと思ったんですよ。

当然、順調じゃないことだらけです。挑戦をする上で、本当にアキレス腱が良くなくて、1シーズンをまるまる無駄にしたこともありました。

それでも迷ったり止まったりはしませんでした。

結果、2016年のリオデジャネイロオリンピックでは「戦うこと」ができ、36歳にして競技を続けてきた中で一番良い7位入賞という成績を残すことができました。


2016年リオデジャネイロオリンピック陸上代表の選手達と

澤野:オリンピックが終わって、「じゃあ、その先どうするか」って考えると、今自分の中で身体に衰えは感じていなくて跳ぶことが出来る。

でも、これから体力的なところで向上するとかは思っていない。

ただ、棒高跳びの特性上、技術はもっといい方向に持っていけるし、自分自身もそういう技術に近づきつつある。ならば、もっと追求してみようって思いました。

それともう一つは、今自分がコーチとしても選手としても競技に向き合っていくという挑戦です。

僕はオリンピックで「人生でこんなに幸せなことはない」と思ったんですよね。

これをスポーツで実感出来るんだってことを、この努力の先に絶対に最高に幸せな瞬間があるってことを指導している学生にも感じて欲しいし、体験して欲しいんです。

そして、その瞬間は自分だけでなく、周りの人もこんなに幸せに出来るんだって。それを隣で一緒に競技をしながら伝えたいんです。


2016年リオデジャネイロオリンピックにて競技観戦の一コマ

加納:色々乗り越えてきた澤野君だからこそ、行動や言葉の一つ一つに重みがありますね。

これから世界へ羽ばたいていく後輩たちに自分の背中を見せながら競技を続けていくことは大変だけど、これは澤野君にしか出来ないことですね。

37歳で現役を続ける意味

加納:37歳で現役を続けることの意味、やりつづけることの価値ってどう考えていますか?

澤野:今、自分はコーチとしての立場もあるので、「競技を辞めてコーチに100%専念してやるのがいいよ」と思っている人もいると思うんですけどね。

選手を続けながら、コーチを続けることはなかなか出来ないし、出来る時間も限られていると思うんです。

今は、一緒に遠征したり、競技も出来る。コーチに専念した方が練習を見てあげる時間は増えるかもしれないけど、今は僕の背中からも学んで欲しいんですよね。

時間の使い方とか、身体を仕上げていくのとか、大変なことはたくさんですけど、そこを実際に見るということに価値を感じて欲しいですからね。

だからこそ、競技もただ惰性でやってはいけなんです。2020年に東京オリンピックがありますから、「目指しています」と大きな声では言えないですけど、毎年毎年が挑戦だと思っています。

「東京オリンピックの舞台で教え子と一緒に世界と戦えたら・・」ってのが自分のモチベーションになっている部分もありますからね。

リオで味わった幸福感を、地元の東京オリンピックに自分が出たり関わったりしたらもっとすごいことだなって、頭の中で想像しています。

だから、今はまだ辞める必要はないないし、もっと競技としての棒高跳びもアスリートとしての澤野大地も極めたいと思っています。

そうしたら、色々と伝えれると思っているんですよね。

求道ですね。


アメリカのコーチの子どもたちと

加納:37歳で競技を続ける中でも色んな気付きがあるんですね。

ここまで競技続けてきても、今の自分に甘んじること無く前進し続ける姿は誰にでも出来ることではないことだなって思います。

競技を続けていく上で身体とかこの先の仕事のこととか、自分の中で不安なことはないですか?

澤野:不安はないですね。
「これからどうしよう」ではなく、今は自分の好きな棒高跳びを一生懸命やる方がいいなって思います。

確かに、アスリートを続けるということは一般的な社会人としての経験が少ないということもあって、もしかしたら他の人より出来ていないことも多いかも知れないです。

しかし、アスリートとして培えるものは誰にも得られるものではないと思うんですよ。

自分自身、今は辛いけど、負荷を与えることによって成長できると思うんですよね。それが将来の糧に絶対になるんだと。

加納:私はそこまで考えられていなかったので引退した後に強烈な虚無感に襲われました。

自分は全然何もできないという現実が突きつけられて、「ああしておけば良かった」、「何でやってなかったんだろう」と思うこともたくさんありました。

今では色んな人にヒントをもらい、少しずつ進化をすることで逆に「競技に打ち込んできた日々の価値」を痛感し、自信を持つようになりました。

澤野:なかなかみんながそう考えられているわけじゃないですよね。だから、横田とかはすごいと思います。

自分自身がトップアスリートとしてトレーニングの時間もすごいかかる中で、1人でアメリカへ移住して、英語も勉強して、更に会計士になるための勉強時間を実際2000時間捻出しているんですから。

きっと辛い日もあったと思いますけど、それでもへこたれず、やり抜いた彼はすごいと思います。辛いことをあえて選び、苦しい環境に身を置くことは、その人の成長に繋がると思います。

※横田真人→男子800m元日本記録保持者で2012年ロンドンオリンピック代表

横田真人さん対談記事はこちら

日本記録を出した逆張りのトレーニング法(対談:横田真人さん)前篇

トップを目指す上で絶対に欠かせない指導者との相性(対談:横田真人) 後篇

加納:現役の時からそう考えられていたら全然違ったかもですね。

だから、澤野君や横田君の姿勢は陸上競技に限らず多くのアスリートや指導者、また異分野で挑戦してきた人にとても貴重な指南になるように思います。

澤野:そうですね。平昌オリンピックで結果を出している人を見ていても、人間力が違いますよね。

男子スノーボードハーフパイプで銀メダルの平野歩夢選手、男子フィギュア金メダルの羽生結弦選手のインタビューを聞いていると、自分自身に挑戦して、すごいことに立ち向かってすごいことを考えながらやっていると思いました。

そういう言葉が自然と出てくるような姿勢で競技に打ち込むことが必要なんだと、今回オリンピックをみて改めて思いました。

加納:ほんと、一流アスリートは人間力がないと結果を出せないと思います。そして、それは、ビジネスもそうだと思います。

澤野:ビジネスとアスリートってすごく似ていますよね。

経営者の方と話ししていても、共感出来るところが多いんです。

相手はビジネスの話をしていて、自分は棒高跳びの話をしているのに、話が通じるんですよね。

加納:私は、「競技しかしてきていない」ということがしばらくコンプレックスで、自分に自信が無くて、ビジネスの舞台だと言いたいことを言えなかったんですよね。

でも、実は追求している先はビジネスもアスリートも似ていたということは最近やっと実感しています。

競技で培った自分の強みを活かして、ビジネスの分野でシナジーが起こしていけると面白そうですね。

澤野:競技をやって一つのことを成し遂げている人は、何かしら自分に負荷をかけているわけだから、ビジネスと同じだと思います。

一つのことをやることは、色んなことを犠牲にしているわけですよ。

だから、現役時代を本当に誇れるものとして進んで欲しいですね。
自分はアスリートとしてまだやっているし、そんなアスリートをもっと育てたいです。

加納:本当にすごくいい話を聞かせてもらいました。

澤野君の話を聞きながら、私が現役時代に自然と自分で気付いて出来ていたこともありましたが、そこまで頭を使って競技が出来ていたかと言えば、出来ていなかったなと思います。

アスリートしながらのコーチは、大変だと思います、これからも応援させて下さい。

貴重な時間をありがとうございました。

インタビューを終えて、加納由理の振り返り

同じ陸上競技という種目の中でも、棒高跳びとマラソンとではあまりにも違い、これまでなかなか接点を持つことも無なかった。

それだけに澤野さんの話を聞き、気づくことが多かったのは本当に貴重な経験となりました。

そして、長年、トップアスリートであり続けることができる理由がたくさん見受けられました。

・目標を達成するための細かい目標設定
・自分には何が必要かを自分で気付いて、行動する。
・自分の現状に満足せず、前をみて追求する姿勢。
・アスリートとしてやってきた経験や想いを、今の若い選手にも伝えていきたい。

澤野さんは、一見、クールで近寄り難そう(私に言われたくないですね笑)と思っていたのですが、面白い話を聞くと無邪気に笑ったりするし、棒高跳びの話をしているのが楽しそうで、棒高跳びが本当に好きなんだなと感じました。

そして、こんなにも結果を出しているのにも関わらず、自分におごらない、むしろ謙虚で学ぶ姿勢が出来ている人間性は、長年トップアスリートとして、活躍してきた財産だなと思いました。

コーチとしてやっている中でも、自分で考えて自分で動ける、人間性があってたくさんの人に愛されるアスリートを育てたいという想いが伝わって来ました。

そんな想いが伝わってくる、時間になりました。

また、現役アスリートとしても、2020年の東京オリンピックを目指しています。

本人は大きな声では言えないといっていましたが、一ファンとして東京オリンピックを目指すストーリー、向かって行く姿を応援したいと思います。

今回も、最後まで読んでいただきありがとうございました。


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