加納由理オフィシャルサイト | 元日本代表マラソン選手

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HISTORY

加納由理の歴史

  • 1978年10月27日

    2,560gで産まれる。このときから、すでに小柄。

  • 1983年(5歳)

    七・五・三の衣装のまま、自転車で友達の家に遊びに行くという、黒歴史を作る。この頃の夢は、「Dr.スランプアラレちゃん」「怪獣ブースカ」。

  • 1984年(6歳)

    家の近所の溝にはまり、脚を切り、初めて5針縫うケガ。

  • 1987年(9歳)

    大阪国際女子マラソンでTHE ALFEE曲をバックに走るランナーを見て、そのランナーの姿に憧れをいだきはじめる。

  • 1988年(10歳)

    市内の小学生マラソン大会で優勝、その後、県大会でも優勝する。

  • 1991年(13歳)

    ジュニアオリンピックの800mではじめての全国大会出場。結果は、予選最下位という、苦い全国デビュー。

  • 1992年(14歳)

    陸上部の顧問の先生の転勤によって、陸上を教えてくれる人がいなくなり、独学で陸上の勉強をはじめる。

  • 1993年(15歳)

    独学で陸上を勉強してきた結果、3年連続でジュニアオリンピック出場。県No1の「須磨女子高校(現須磨学園)」の特待生入学。

  • 1996年(18歳)

    高校生活、最後の全国大会「都道府県対抗女子駅伝」5区で区間賞の走りをする。

  • 1998年(20歳)

    全日本大学女子駅伝1区でTVデビュー。その後、10kmロードで学生新記録を出す。

  • 1999年(21歳)

    学生のオリンピック、ユニバーシアードで、初めて日本代表に選出される。10000mで銀メダル。全日本インカレ、10000m初優勝。

  • 2000年(22歳)

    全日本インカレ、10000m2連覇。日本選手権、10000m8位。

  • 2003年(25歳)

    横浜国際女子駅伝で、初のナショナルチーム入り。日本チーム3位、個人4区2位。

  • 2005年(27歳)

    横浜国際女子駅伝2度めのナショナルチーム入り。エース区間2区で、区間新。

  • 2006年(28歳)

    全日本実業団女子駅伝で資生堂チーム優勝。最長区間(11.2km)の5区を走る。

  • 2007年(29歳)

    大阪国際女子マラソンで初マラソン。結果は3位、2時間24分43秒は、当時の初マラソン日本歴代5位。8歳のときの、THE ALFEEの曲をバックに走る夢を叶える。

    同年、北海道マラソンで、熱射病・脱水症になりながら、マラソン初優勝。

  • 2008年(30歳)

    北京オリンピックマラソン代表ならず。その後、マラソンで勝つことを決めて、トレーニングに励む。札幌国際ハーフマラソン優勝。東京国際女子マラソンは、2時間24分27秒で2位

  • 2009年(31歳)

    ベルリン世界選手権7位入賞

  • 2010年(32歳)

    名古屋国際女子マラソン優勝。広州アジア大会代表。

    同年、広州アジア大会1ヶ月前に、帯状疱疹を発症。なんとかスタートラインには立ったが、結果は振るわず7位。

  • 2012年(33歳)

    人生初の疲労骨折。回復後、ロンドンオリンピック選考会に出場するが、全く走れず。

  • 2014年(36歳)

    5月の仙台ハーフマラソンを最後に現役引退。

  • 2015年(37歳)

    今の所属会社代表、株式会社ウィルフォワード成瀬さんに知人の紹介で会う。12月、新潟県十日町市で開催された、ビジネスコンテスト「トオコン」に人生で初めて出場。

  • 2016年(38歳)

    東京マラソンで、フルマラソン復帰。2時間39分21秒で日本人6位。

  • 2017年(39歳)

    サロマ湖100kmウルトラマラソンで、人生で初めて100kmに挑戦。7時間36分21秒で優勝。

    同年、現役時代の選手仲間に誘われ「アスリート委員会」メンバーに加わる。陸上競技の普及活動に携わる。

  • 2018年(40歳)

    「星峠雲海マラソン」で、初めて大会のプロデュースをする。