PROFILE
プロフィール
加納由理Yuri Kano
ニックネーム:パンちゃん / 生年月日:1978年10月27日生
兵庫県高砂市出身。私立須磨女子高等学校を卒業後、立命館大学経済学部に入学。陸上競技女子トラック長距離種目で無類の強さを誇り、チャンピオンとして数々のタイトルを獲得する。
大学卒業後は資生堂に入社。2005年の横浜国際女子駅伝では、日本代表チームの一員として最長区間を区間新記録で走り、優勝に貢献。2006年全日本実業団駅伝でも、最長区間を走り、資生堂を初優勝に導く。自身初マラソンとなる大阪国際女子マラソンでは3位に入賞。2007大阪世界選手権女子マラソン補欠に選出される。
その後、北海道マラソン優勝、名古屋国際女子マラソン優勝など数多くの実績を作り、2009ベルリン世界選手権女子マラソン日本代表(7位)や香港アジア大会競技大会ハーフマラソン(銀メダル)など、国際大会でも活躍を納める。
2014年に競技を引退。現在は「生涯ランナー」をモットーに、ランニングを通して、「運動することの喜び」や「続けることの大切さ」を伝えている。ランニングイベントやランニングスクールの主催や協力を精力的に行う一方で、学校やスポーツ団体、ビジネス団体向けに講演を向けに講演を行うなど、教育活動にも力を注いでいる。ランナーとして、2017年サロマ湖100kmウルトラマラソン優勝。ビジネスとして、2018年新潟県十日町市で「星峠雲海マラソン」を企画。
経歴
- - 私立須磨女子高等学校
- - 立命館大学経済学部
- - 資生堂ランニングクラブ
- - セカンドウィンドAC
- - 資生堂ランニングクラブ
自己ベスト
- - 1500m 4分27秒95(2003年)
- - 3000m 9分07秒19(2005年)
- - 5000m 15分21秒70(2005年)
- - 10000m 31分53秒07(2004年)
- - ハーフマラソン 1時間08分57秒(2008年)
- - マラソン 2時間24分27秒(2008年)
- - ウルトラマラソン 7時間37分21秒(2017年)
実績
- - 1998年 日本学生対抗選手権 10,000m 第2位
- - 1999年 日本学生対抗選手権 10,000m 優勝
- - 1999年 日本学生種目別選手権 5,000m 優勝
- - 1999年 ユニバーシアード 10,000m 第2位
- - 2000年 全日本学生選手権 10,000m 優勝
- - 2000年9月 日本選手権 10,000m 第8位
- - 2004年9月 全日本実業団対抗陸上 10,000m 第3位
- - 2007年1月 大阪国際女子マラソン 2時間24分43秒 第3位
- - 2007年9月 北海道マラソン 2時間30分43秒 優勝
- - 2008年1月 大阪国際女子マラソン 途中棄権
- - 2008年3月 名古屋国際女子マラソン 2時間26分39秒 第3位
- - 2008年6月 札幌国際ハーフマラソン 1時間08分57秒 優勝(自己記録)
- - 2008年11月 東京国際女子マラソン 2時間24分27秒 第2位(自己記録)
- - 2009年2月 香川丸亀国際ハーフマラソン 1時間09分22秒 第2位
- - 2009年2月 泉州国際市民マラソン 途中棄権
- - 2009年4月 ロンドンマラソン 2時間28分44秒 第11位
- - 2009年8月 ベルリン世界陸上女子マラソン 2時間26分57秒 第7位
- - 2009年11月 ニューヨークシティマラソン 2時間39分05秒 第9位
- - 2009年12月 香港東アジア競技大会ハーフマラソン 1時間12分03秒 第2位
- - 2010年3月 名古屋国際女子マラソン 2時間27分11秒 優勝
- - 2010年7月 札幌国際ハーフマラソン 1時間11分47秒 優勝
- - 2010年11月 広州アジア競技大会女子マラソン 2時間36分40秒 第7位
- - 2011年3月 ニューヨークシティハーフマラソン 1時間14分59秒 第21位
- - 2012年3月 名古屋ウィメンズマラソン 2時間36分37秒 第27位
- - 2012年9月 ベルリンマラソン 途中棄権
- - 2014年1月 2014大阪ハーフマラソン 1時間16分12秒 第4位
- - 2018年2月 東京マラソン 2時間50分20秒
- - 2018年4月 パリマラソン 2時間54分53秒
好きなもの
- - パンダ(現役時代から遠征などお守り代わりで持ち歩いている、パンダのぬいぐるみがパンちゃん
- - 鶏のから揚げ(現役時代は、食べると太るからとあまり食べさせてもらえなかった)
- - 酒全般
好きなこと
- - 旅(マラソン大会に行って地元を楽しむ)
- - ランニングで体力維持
- - 癒やしスポットに行く
私の人生を振り返って
子供の頃なりたかったのはアラレちゃんで、とにかく子供の頃はおてんば娘と言われていました。5つ上の兄の影響もあってか、男の子と遊ぶことが多く、遊びと言えば川原にザリガニかカニ採り、落とし穴作りといったところでした。
七・五・三の際には、着付けをしてもらったにも関わらず、遊びたいのが我慢できず、母が目を離したすきに着物のまま自転車で遊びに行ってしまい、母親を困らせてしまったことがありました。
子供の頃から走るのは得意で、小学生のマラソン大会では常に1か2位でした。兄も陸上をしていて、大会の応援によく連れていってもらいました。学校のエースとして活躍している姿を見て、自分も色んな大会に出ていけるような選手になりたいと思うようになりました。
中・高生の頃は勝ち切れないレースが多く、メンタル面が弱かったのですが、大学入学後に十倉コーチ(現、立命館女子陸上部コーチ)の指導により、力を伸ばし、インカレ優勝、ユニバーシアードでメダル獲得という目標を達成することができました。
学生時に初めて全国タイトルをとったことで、自分がうれしかったこと以上に、周りが一緒に喜んでくれるという、今までに味わったことのない喜びが得られました。
2001年4月に資生堂へ入社し、トラック種目を中心に競技に打ち込み自己ベストを更新。また、駅伝では長い距離の区間を走ることが多くありました。2006年の全日本実業団女子駅伝で優勝した時は、本当に優勝してしまったことがしばらく信じられませんでした。優勝インタビューで全く気の利いたコメントが出来なかったことは、今でも悔やまれます。
2007年1月に人生初のフルマラソンに挑戦。とにかくあっという間に終わってしまったという感じでした。子供の頃は「フルマラソンを走る人は変人だ」と思っていたのに、今は自分がその変人として走っている。そんなことを思うと、走っている最中も少し笑えました。
競技人生後半は、オリンピックと世界陸上競技選手権で日の丸を背負って走ることを目標に掲げたマラソン人生でした。
国内レースでは安定して好成績を残すことができましたが(2や3位など)、なかなか勝ちきれないレースが続きました。今、振り返ると勝つにはもう一歩覚悟が足りなかったのだと思います。その後、2010年の名古屋国際女子マラソンは、調子は万全ではなかったのですが、絶対に負けられないと思って挑んだレースで、勝利することができました。
2014年5月の引退までの3年程は、ケガに悩まされる日が続き、競技を長く続けることの難しさを知りました。ケガで走れない日々は辛かったのですが、この期間で人との出会いもあり、人の温かさをとても感じた期間でした。この期間に人として成長することができたようにも思います。
競技引退後に自分と向き合って考えた結果、「自分にはマラソンしかない」と不安になりましたが、マラソンを通して培ってきたことに自信をもって、多くの人に走る喜び、走れる喜び、達成する喜びを伝えていきたいと思い、第二の人生を走り出しています。
私の夢
私は2014年5月に現役を引退しました。これまでは競技者として常に結果を出さなければならないというプレッシャーの中にいたので、走ることを楽しむということが、年々結果を出すに連れ出来なくなっていました。思えば結果を出せない自分を責め、孤独で苦しい日々を過ごしていたように思います。
引退後、自分は何をしたいのか、じっくり時間をかけて自分と向き合ってきました。
今の私は、自分がなりたい姿として2つの軸があります。
1つは、22年間競技者としてやってきたことを生かし、それをビジネスとして成り立たせるということです。
私は現役時代に、競技をやめた後の人生のことは考えていませんでした。「なんとかなるだろう」と軽く考えていたのです。しかし、現実はそう甘いのもではありませんでした。社会人としての経験がない私には、簡単に仕事先が決まらないという現実がまっていたのです。
35歳まで競技を続けてきた自分を責めた日もありました。
ですから、これから競技を引退する選手が私みたいにならないよう、競技をするうちから人生トータルして考える習慣を当たり前にするという場所を作ることをやっていきたいです。そのためには、まず、社会に向き合って、自分が色んなことに挑戦して成功すること。
そして、2つ目は、ランナーとして走り続けること。
競技者としては一流ではないかも知れないけど、生涯スポーツとして愛されるマラソン・ランニングを通して、小さな子供からご年配の方まで、夢や目標を持つことの大切さ、そのプロセスを楽しむことの愛おしさを伝えていきたいです。
それは、22年間競技者としてやってきた中で、私は沢山の方から愛情をもらってきました。今は、その愛情を少しづつでも還元していきたいからです。
そんな、走り続ける人生を私は生きていきたいと思っています