2017月02年06日
島根県松江を訪れたのは2年ぶり
両親の生まれ育った島根へ
私は生まれも育ちも兵庫県ですが、私の両親は2人共島根県生まれ島根県育ちです。父親は安来市、母親は松江市の出身です。競技をやっている時はなかなかゆっくりと田舎に帰ったりもできないですが、今回、ちょっと時間ができたので母の実家の松江を訪れてきました。
私のおばあちゃんは、今年で満93歳になります。とにかく、よくしゃべります。と言うか、本当にお話し好きです。
話し出すと止まらないので、聞いている私も途中、集中力が途切れそうになるほどです。昔のことも、最近のこともよく覚えていて、「93歳でこの記憶力すごいな〜」と関心します。
おじいちゃんとおばあちゃん
商売をやりたい
母の実家は食料品から生活用品まで売っているお店を営んでいます。昭和25年にお店が始まり、今でも続いているので66年になります。
私のおじいちゃんは、昭和18年から21年までの3年間戦争に行っていました。おばあちゃんは、その3年の間、どこにいるのか、どうしているのか全く分からないおじいちゃんが無事に帰って来てくれることを願い、ただただ待っていたそうです。戦争が終わり、おじいちゃんは重度の怪我を負いつつも、生きて松江へ無事に帰ってくることができました。そして、おばあちゃんに「商売をやりたい」と言ったみたいです。
やりたいことをやらせてあげよう。やってダメならそれで良い
おばあちゃんは最初は、「何言っているの、この人は!?」と思ったそうですが、一緒になった時点で「この人について行こうと決めたし、生きて帰ってきてくれたのだから、やりたいことをやらせてあげよう。やってみてダメならダメでも良い」と思ったみたいです。
お漬物から始まったおじいちゃんの夢
最初、お店で売った商品は「お漬物」でした。辛子漬け、福神漬けから始まりました。そこから少しづつ売れるものを増やしていって今のお店になったようです。最近は、近所に大きいスーパーが出来て、よく売れていた以前の時のようにはならなくなったようですが、3年前92歳で亡くなったおじいちゃんが作ったお店だし、「今はこんな感じだけど続けるだけ続ければいいかな」っておばあちゃんは言ってました。
母のルーツ松江
松江のゆったりした時間
子供の頃から松江へは年に1回来るか来ないかでした。ほのぼのとした田舎は子供の頃は物足りなさも感じていましたが、大人になってからはこの場所の風景やゆっくりした時の流れ、そして会う人のゆっくり感の心地が良いと感じるようになりました。
おばあちゃんの背中
子供の頃は大きく見えたおばあちゃんでも今ではすっかり小さくて可愛くなってしまいました。
おばあちゃんは言います。「私は、身体が強いだけが取り柄だから、もう十分なくらい生きちゃったよ」と。身体が強いのは私の母親も、私も同じです。強い身体を与えてもらって感謝です。おばあちゃんにはこれからもたくさんおしゃべりして、元気でい続けて欲しいと思います。
松江の宍道湖、松江城
松江には日本一のしじみの産地である宍道湖や、松江城などがあります。どこも歩いても行けるような距離です。景色を見ながら、ゆっくりとした時間の流れの中で、「私の母親はここで育ったんだな〜」と思いました。
親孝行はできることから始める
親孝行や祖父母孝行、恩師への恩返しなどは、「今すぐにやらなくても困らないけど、人生においてとても大事なこと」だと思います。まだ全然できていないことがありますが、今は仕事に直接的に関係なくても、親孝行などはできることから一つずつやっていきたいと改めて思いました。