2022月02年03日
日本の女子マラソンが世界で輝きを放っていた2000年代前半、当時の強い「マラソンニッポン」を支えたランナーの一人は野口みずき選手でしょう。
灼熱のアテネオリンピックで激戦を繰り広げ、2大会連続の日本人金メダルという偉業は今でも語られるエピソードです。
しかし、金メダルを取ってからの彼女の競技人生は苦難に満ち溢れていました。
私にとって、野口みずきという選手は同学年のライバルであり、高校生のころから意識してきた選手です。
お互いに競技を引退した今では、友人として仲良くさせてもらい、真剣な話からプライベートな内容までなんでも話せる間柄になりました。
東京オリンピックが一年延期になりましたが、自国開催のオリンピックを控える今だからこそ、金メダリストの野口みずき選手に改めて話し聞いてみたいなと思い打診したところ、快諾。
「みずきちゃん」「加納ちゃん」という呼び名で和やかに話が進みましたが、時折思い出す壮絶な競技生活には私自身も目頭がツンとする場面が何度もありました。
これまであまり語られることのなかった野口みずき選手の半生を垣間見ることができました。アスリート対談第10弾は野口みずき選手です。
どうぞ、ご覧ください。
※この対談は、2月4日に行ったものです。
野口みずきさんプロフィール
1978年三重県生まれ。宇治山田商業高校を経て、実業団チームのワコールに入社。
その後は、グローバリー、シスメックスに所属。
2003年パリ世界選手権マラソン銀メダル、2004年アテネ五輪では2000年シドニー五輪の高橋尚子さんに続き、日本人女子2大会連続で金メダル。
4年後の2008年北京五輪では、2大会連続で代表入りをしていたが、レース本番前に左太ももの肉離れの為出場辞退。
その後、怪我との闘いに苦しむも、2013年名古屋ウィメンズマラソンで2時間24分05秒で3位に入り、その年に開催されたモスクワ世界選手権のマラソン代表に選出された。
2016年3月の名古屋ウィメンズマラソンで現役引退。
現在は、メディアやイベントなどで活躍。実業団チームの岩谷産業でアドバイザーとして選手を指導している。
2人のなつかし話
加納:私が初めて「野口みずき」という選手を知ったのは、高3の都大路(毎年12月に京都で開催される全国高校駅伝)。同じ1区にエントリーされてて、最後にすっと抜かれたんだよね。覚えてる?
野口:えーそうだったっけ!?
加納:そうだよ。確かみずきちゃんは区間で15,16位くらいじゃなかった?
野口:そう私、16番だった!
加納:私は17番笑。抜かれた側はだいたい覚えてるもんだからね(笑)その後、高校卒業前の浜名湖一周駅伝でまた直接会う機会があって、「あー、あの時の!(高校駅伝)」みたいな話もしたよね。
野口:それは私も覚えてる!あの時は、挨拶程度の会話だったけど、そのあと何かの試合で一緒にダウンジョグしながら結構たくさん話したよね。
私は高校を卒業して実業団に進んだから、加納ちゃんと一緒に走る機会は限られてたけど、チームメイトが加納ちゃんと仲良くて、その子を含めた3人で走りながらおしゃべりしたんだよ。
加納:そうか、それは逆に私が覚えてないかも。でも、たしかにワコールには仲の良かった子がいたから、一緒に走っててもおかしくないね。
あと、北海道合宿中にワコールと一緒になって、友達の部屋に遊びに行ったことがあったね。たしかその時にみずきちゃんの話題になって「みずきってこういうやつやよー」みたいな話したわ。
野口:どうせ、しょうもない話しかしていないでしょう(笑)
加納:うん、くだらない話だった(笑)メディアには寡黙で真面目そうにうつってるけど、実は・・みたいな。
野口:自転車に乗って中国雑技団の真似したり、すごいアクロバティックなことしてた(笑)
加納:それ覚えてる(笑)きつい練習こなしてるにもかかわらず、元気やなーって思ってた。こんなの、身近な人しか知らないね。まさに”野口みずき流アクティブレスト”みたいな感じじゃない。
当時の練習と生活
実業団連盟の夏合宿にて
加納:2人の昔話はいったん置いといて、みずきちゃんの競技生活について聞いていこうかな。
練習が激くて、日常生活の規律が厳しいっていうイメージがあったんだけど、実際はどうだった?
野口:基本的には365日集団生活で食事も三食出てたから、競技に集中できる環境だったよね。
ずいぶん後になって、日曜日のお昼だけは自分の食べたいものを食べられる環境になったけど、振り返ってみてもそれくらいしか思いつかない。
私はそういう生活が、あんまり気にならなかったけど、外から見たら自由がなくて厳しかったかもね。
加納:私は生まれて一度も寮生活をしたことがないから、365日集団生活は想像もつかないな。門限もあったことないし。
自由だけど、自己管理は自分でやらなきゃいけなくて、それが出来ないと全部自分に返って来てた。
だから、体重のコントロールで苦労したこともあったし、貧血になったこともあったね。
野口:私もワコール時代は体重が増えて全然調子が上がらなかったことあったよ。管理されてても、結局やるのは自分だから、どれだけ自分をコントロールできるかが大事なんだろうなって思う。
加納:たしかに、そうだね。同期の選手でも、環境がこんだけ違うって面白いなぁ。実際、1日どんなサイクルで動いていたの?
野口:朝練習が始まるのが朝の6時。ワコールに在籍してた時は14時半くらいまで仕事して、そこから練習に行ってたよ。
実業団によって違いはあるけど、ワコールは働く時間が多い方だったんじゃないかな。
グローバリーに移籍してからは、ガラッと環境が変わって練習漬けの毎日。
本社が名古屋にあったんだけど、練習拠点は京都のままだったから、会社に行くことがなくなったの。
時期によって練習内容は違うけど、基本的なスケジュールは朝練習をやって、午前中に本練習。
午後はフィジカルトレーニングみたいな感じで、一日中365日練習漬けだったね。
加納:そのスケジュールはヤバイ!聞いてるだけで、息切れしそう。
みずきちゃんがその生活をしてた頃、私は学生だったから、朝練なんて自由参加だったよ。
野口:えっ自由?やる人はやるみたいな感じだったの?
加納:そうだよ、やってもやらなくてもよかったの。代わる代わる誰かが朝練に来てたけど、1、2年生の頃はほとんどコーチと2人で朝練してた。
授業は長い時は大体15時半くらいまであるから、そこから2時間半くらい本練習って感じかな。普通の学生の生活リズムだね。
でも、遊ぶことにはあんまり興味がなかったんで、同期で実業団に進んだ子もたくさんいたから、その子たちにも負けたくない気持ちも強くかったな。
コーチと二人でやる朝練習が苦じゃなかったのは、実業団に進んだ子たちはもっと練習してるって思ってたからなんだよね。
学生の試合は勝たなくてはならないんで、集中力MAXだったけど、春先のサーキットとか日本選手権は、まだチャレンジする側みたいな感じでリラックスしてたけどね。
20歳前後の頃
2000年の世界ハーフマラソンでは個人4位、団体銀メダルに貢献
加納:こうやって振り返っていくと、環境の違いはあれ、競技に対するストイックさはお互い様だよね。
みずきちゃんとは、学生の頃に春のサーキットでよく同じレースを走ってたよね。
野口:そうそう、20歳前後くらいだよね。その頃は、1万メートルの記録も同じくらいだったし、レースでよく競ってた。
加納:1万mの持ちタイムは同じくらいだったけど、みずきちゃんはその頃ハーフマラソンで記録がグングンが伸びてたよね。
トラックレースで競ってたみずきちゃんが世界ハーフで2位になったって聞いた時は本当に刺激受けたなぁ。
野口:トラックは元々苦手意識があって、ハーフマラソンの記録が伸び始めてから、いろんな自信がついてきたんだよね。
初めてのハーフは愛知県の犬山ハーフで、ワコールからグローバリーに移るちょうど狭間の時だったの。
失業保険を貰いながら走ってた「ハローワーク時代」だね。初ハーフは1時間10分16秒。
でもその後すぐに札幌ハーフで1時間9分台に突入し、さらにはイタリアで行われた世界ハーフでベスト更新。
その後も自己ベスト更新の勢いは止まらず、名古屋シティマラソンで1時間8分30秒まで記録が伸びて、これはいけるって思った。
ちなみに、「ハローワーク時代」は4ヶ月くらいだったんだけど、自分の中にプロ意識が芽生えたって自覚してるのはその時期。
結果的にはとても貴重な期間だったし良かったと思ってる。
加納:自己新連発するときってあるよね。私もそんなふうに覚醒した時期が大学3年の時と、29〜30歳のときの2回あったかな。
プロ意識ってところも、その環境になったからこそ、気づいて意識が変わったって感じだね。
野口:ハーフマラソンが自分にぴったり合ってるっていう感覚もあってどんどん自信がついてきて、トラックの記録にもつながっていったの。
それまでは1万m走っても、スタートから必死で、最後まで戦うって感覚ないまま走り終えてて、走り方がよくわからなかったんだよね。
加納:私もそうだったね。マラソンはじめてから、1万mとハーフマラソンが走れるようになってきた。
1万mだけやってた時は、スタートからずっと速いペースで押すから、余裕がない。
でも、マラソンやって余裕を作ることを覚えたら、こうやって走るんだなってのが分かってきたな。
野口:その辺りは一緒やね。
トラックの記録を伸ばしていき、その延長線上にマラソンがある人もいれば、私たちみたいにマラソンやハーフマラソンの記録向上がトラックにつながっていったタイプもいる。それぞれ違うね。
自分の強みとイメージはどう落とし込むのか
北京オリンピック代表選考会の2007年東京国際女子マラソンは、2時間21分37秒で優勝
加納:レースや練習の走り方って自分で決めるようにしてたの?
野口:そうだね。誰かに走り方を聞くというよりは、実際に走って覚え、自分の感覚に落とし込む感じだったね。
トラックでもマラソンでも、前半から突っ込んでいくタイプの選手もいれば、後半まで我慢してジワジワ上げていく選手もいる。
いろんな選手の走り方を参考にして、練習ではレースをイメージしながら走る癖をつけてた。
加納:そのイメージはすごく大切だね。
みずきちゃんは、どんなレースでも自分が得意なレースの流れにしてしまう能力が優れているなと私は思ってたよ。
特に印象深いの2007年の東京国際女子マラソン。北京オリンピックの代表選考レースだったから、私はチームメイト(尾崎朱美さん/当時セカンドウインドAC)の付き添いでレースを見守ってたけど、一番苦しい37km以降の上り坂をすごい勢いで駆け上がっていったよね。
37kmあたりの四谷でみた時に、あれはすごすぎて「鉄人が走っとる」と思った(笑)
野口:私もあのレースはすごい覚えてる。オリンピックの選考レースだったし、事前に練習でいろんなイメージを持って走ってた。
あの時はね・・・私にはタイソン・ゲイが憑依してきてたの(笑)
加納:タイソン・ゲイ?37kmで短距離選手が降りてきたの?(笑)
野口:そう(笑)
東京のコースは最後の5kmの坂がきついから、上り坂対策をしてて、その時にイメージしてたのが短距離選手。
こういう走り方ができたらいいなって思ってたイメージが頭に染み付いてて、四ツ谷の上り坂に差し掛かった瞬間に「私はタイソン・ゲイだ!」っていう感じになったの。
加納:そのイメージはわからないなー。私は30km以降は、いつも耐えるレースになるから。
野口:私も前半からガンガン速いペースで押すことが多かったし、20kmくらいですでに辞めたいくらいキツくなってるんだよね。
でも、後半また元気になる。
加納:確かに、みずきちゃんのレースって中間点を1時間10分台で通過するような速いペースになっていること多いから、絶対前半からきついよね。それでも、30km以降も一人でも押してくし、すごいなっていつも思ってた。
野口:苦しくてもペースを上げてみて、引き離せたら「いけるじゃん!」って元気になるんだよね。
加納:練習の時からいろんなイメージをしてるとそういう風に切り替えられるのかもしれないね。
レースでの駆け引き
2002年イギリス・グレーとスコティッシュハーフマラソンでは2位
加納:レース中の駆け引きってみずきちゃんは何か意識してた?
野口:駆け引きは色々あって、疲れた演技をすることが何度あったかな。わざと息遣いをオーバーにして、相手が「いけるな」って思ったスキに強烈なスパートをにかけるとか。
加納:私は逆で息殺して余裕あるふりして走ることが多かったから真逆だね。
野口:演技すると余計な体力を使うし、ある意味賭けなんだよね、相手は本当に疲れているかわからない。
だから、より確率を上げるために、レースではここで仕掛ける!ってポイントを事前にイメージしてたよ。
加納:金メダリストの駆け引き論は面白いね!私はレース中は、心の余裕はとにかく持つようにしてた。
マラソンは気持ちが「ぷつっ」と切れちゃうとどこまでも落ちるから。
野口:マラソンは気持ちが大切って、まさにその通りだね。私は、練習は120%でレースが100%って感じで考えてたよ。
練習は自分との戦いだから、レースよりも断然キツい。
逆にレースは相手もいて1人じゃないから、練習とはまた違うんだよね。
加納:高橋尚子さんも同じような感覚だって聞いたことあるね。
野口:練習はやっぱりレースよりもしんどい方が良くて、練習でそこまで追い込んで築き上げたものが、自信になって楽になるし、レースに望むときに余裕が持てるんだよね。
大阪国際女子マラソンの前の松田瑞生選手が月間1300km走ったって言ってたし、それが自信になるんだよ。
加納:みずきちゃんは実際どのくらい走ってたの?
野口:私は多い時で月間1370km走ったことがあって、1日に65kmくらい走ったのが最高。でも高橋尚子さんは月間1400km以上走ってたらしいよ。1日70〜80kmくらいこなしてたこともあったみたいだね。
加納:二人ともほんとすごいね。。。私は最高でも1日に45kmくらい。1回に32km以上は走らなかったよ。
野口:資生堂ってそうだよね。
加納:距離を踏むのは怪我のリスクもあるしね。そのかわりレースが多かったんだよね。
野口:設楽君も30kmまでしかって言っていたし、それぞれ合ったやり方あるんだなって最近はすごく思う。
加納:いくらたくさん走っても、そのやり方を自分の中に落とし込めないと走れないからね。
ちゃんと自分の中に落としこむ作業をして、どう納得感持って走るかが大切だなって私は思う。
アテネ金メダル後はどう変わったのか
加納:アテネオリンピックで金メダルを取った時の話はメディアに沢山出てるから、金メダルをとった後の話を聞こうかな。
野口:2000年のシドニーオリンピックで高橋尚子さんが金メダルとって、翌年に世界新っていう順番だったから、それが良い道しるべになったよ。
実際にアテネオリンピックで金メダルを取った翌年に日本記録出せたしね。
加納:アテネオリンピックで金メダルを取った後は意識が何か変わったの?
野口:金メダル獲った直後は、あんまり変わらなかった。次は自分の記録を更新したくて2時間18分を目指そうと思ってただけだし、単純な向上心なんだよね。
ただ、変わったなと思ったのは周りの反響。2003年のパリ世界陸上で銀メダルとったときも反響は結構あったけど、アテネオリンピックで金メダル獲った時は比べものにならないくらいすごかった。
オリンピックの帰りの飛行機はご褒美としてビジネスクラスに乗せてもらったんだけど、機内アナウンスで機長さんが「野口選手が乗っています。
女子マラソンで金メダルを獲得されました。みんなでお祝いしましょう」みたいな感じでアナウンスされたの。
私は、「どうもー、すいません」みたいな感じだったけどね(笑)
加納:自分は何ら変わらないけど、周りがすごいことになってるみたいな感じだよね。
野口:ほんとそんな感じ。
日本について飛行機から降りると、荷物受け取りまでの間、記者・カメラマン・メディアの人たちが壁のようにザーッと目の前にたくさんいて、フラッシュの嵐がすごかった。荷物を受け取って出口に出たら今度は一般の方達が何百人と出迎えてくれて大混乱。
テレビでも良く見る光景だけど、私は「うわ、すごいな。」と思って、戸惑ってたの。その後もコンビニとか普通に買い物に行くと、視線を感じたり、指さされたりが増えたかな。
加納:あと、親戚が増えてたもするよね(笑)。競技の後半のことは色んなところで話してるよね。話したくない内容だったら別にいいんだけど、その後は怪我が続いたり、レースを何度も欠場したり、結構しんどかったんじゃない。
野口:怪我もしんどかったけど、もっとしんどかったのは足が抜ける感覚が2008年以降何度もあったことかな。うまく付き合いながらやってたけど、だんだん練習が思うようにできなくなってた。引退レースになった2016年の名古屋ウィメンズマラソンの頃はその症状が本当に酷かったの。
加納:足が抜ける不調が起こってから引退までって考えると、8年間もその状態で戦ってたの?
野口:そう。ひどい時はジョギングに毛が生えた程度の練習しかできなかったな。
結果的に引退レースになっちゃったけど、2016年の名古屋ウィメンズの時が症状のピーク。
やりたい練習もできない状態でスタートラインに立ってたし、リオオリンピックの選考レースだったから代表選考を勝ち抜かなきゃいけなかったんだけど、「勝とう」というよりも「奇跡が起こって欲しい」っていう気持ちで走ってた。
加納:その頃私はもう引退してて、二部の番組(市民レースの部)を仕事で担当してたから、会場でみずきちゃんが走っているのを見てた。
序盤で離れたのをみた瞬間に「あかん、見てられへん」、会場で一人うるうるしてた。集団から離れて、一人で走っている姿は胸が苦しかったよ。
野口:そうだよね。あの時は5kmくらいしか先頭にはつけなくて、あとはズルズル後退してったもんね。
でも、あれだけ練習ができてなかったのに、2時間33分で帰ってこれたのは自分でもびっくりしたな。
オリンピック代表にはなれなかったけど、ある意味「奇跡」が起きたよね。レース中にいろんなことがあったし、そのおかげかもしれないなって思ってる。
加納:レース中にいろんなこと?
野口:名古屋ウィメンズマラソンは一般の人も走るから、折り返してスライドする時にたくさんのランナーが走りながら応援してくれたの。
沿道の人も「野口さん、ありがとう」って声援を送ってくれて、もう泣きながら走ってた。
加納:あの時は私も泣きそうになりながらレースの様子を見守ってたから、改めてその話を聞いて鳥肌立ってきた。
野口:あとね、中継のサイドカーが私についたんだけど、よく見るとサイドカーに乗ってるカメラマンも泣いてて。
時々、顔をくしゃくしゃにしながら笑ってくれて泣き笑い状態。
スタート前には廣瀬監督が号泣してて、ゴールしたら今度は山口マネージャーが泣いてて、みんなで涙流してた。みんな戦ってきたからね。
記録はワースト1位だったけど、私にとってはいつまでも記憶に残る良い大会だったなって思うよ。
選手時代の後半は苦しいことも多かったけど、最後ああいう感じで締めくくることができてほんとよかった。
現役時代にやっておけばよかったこと、後輩へのメッセージ
加納:最後に、今競技生活を振り返って、やっておけば良かったことってある?
野口:ないかな。集中している時はよそ見せず、集中できてたからね。
もし、今の選手に伝えたいことがあるとしたら、選手として輝ける時間、走れる時間って永遠ではないので、選手として走れる時間を大切にしてほしいなと思います。
現役時代は、人生トータルの時間で考えると短いので、何かを犠牲にしないといけないというのが私の考え。
削ぎ落としでても集中して自分の目標のために、よそ見をせずにやってほしいなと思う。
メジャーリーグを取材している人と話したときにも、ある程度は何かを犠牲にして上を目指さないとできないよねっていうのは言っていて、その通りだなと思いました。
加納:金メダリストが言うと説得力あるな。削ぎ落としというと、私は、高校から引退まで、必要以上に笑うことを(笑)
野口:えー!そうだったの(笑)
加納:競技に必死すぎてエネルギーを使うのをどこを削るってなったときにね。
新規の人との接触は愛想がいるんで、そこはやりづらかったな。
野口:私、人見知りがすごく激しい子なのかなと思ってた。
加納:人見知りもするし、愛想も悪いって、話しかけられないよね。
野口:そういうことだったんだ(笑)
極度の緊張するタイプ感じなのかなと思っていたときもある。
加納:そう、笑わないのを自分でコントロールしていたら表情筋が死んだ(笑)
野口:すごいね、初めて知ったこともあってこの対談面白いかも。
今までの謎も解けた。
加納:今は、笑わないってこともないし、写真撮られるとかは未だに好きではないけど(笑)
これからも仕事やプライベートでも、長いお付き合いよろしくお願いいたしますね。
加納由理 対談の振り返り
最後まで、お読みいただきありがとうございました。
野口さんと私は同級生なのですが、現役時代は数えるほどしか同じレースを走ってなかったんです。
フルマラソンは1回あるかないかでした。
今だからこそ、あの時はどうだったかとか話せますが、現役中はここまで深く競技でお互いの事を話す機会がなかったのです。
野口さんの話を聞いてみて、こんな能力に優れているなと感じた気づきをまとめてみました。
・十分に走る環境がない時にきづいた、走れる価値観
・願望に真っ直ぐな貪欲さ
・コースの攻略法を自分流にイメージすることができる能力
・我慢のレースでも自分の勝ちパターンに持っていく力
個人的には、アスリートが競技でやり残したことがないとはっきり言える選手は今まで出会ったことがありませんでした。
結果に対して何を犠牲にして貪欲になれるのか、その徹底ぶりが、オリンピック金メダルという偉業に繋がったのだと思いました。
真面目で、寡黙なイメージが強いかと思われている方も多いかと思いますが、実際はそうではなく、音楽ではロックが好きだったりで、意外なところもあるんです。
来年は、東京オリンピックが開催されます。
野口さんは、メディアで活躍されるかと思います。
対談と重ね合わせながら注目いただけると幸いです。