2022月02年03日
日本中に夢と希望を与えた1964年の東京オリンピック。
半世紀以上前に開催された自国でのオリンピックには多くの中距離選手が海外の選手に挑んだ記録が残されています。
日本の中距離種目は世界的にみると非常に厳しい時代が続いており、男子1500mに至っては56年もの間オリンピックの舞台に立つことすらできていません。多くの日本人選手が「止まった時計の針」を動かそうと挑戦し、破れてきました。
今回対談させていただいた阿見AC SHARKSの飯島陸斗選手も、そんな想いを胸に秘めながら競技に励む選手の一人です。
学生時代は日本ユース選手権やインターハイ優勝といった素晴らしい実績を持ち、早稲田大学に進学後は中距離チームを牽引してきました。
穏やかで優しい性格からは中距離という激し競技のイメージがつながらないのですが、心の奥に秘めた熱い想いは大きく胸を打つものがあります。
彼の話を聞くと、これまで中距離種目をあまり知らなかった方にもその面白さが伝わるのではないかなと感じています。たくさんの方に読んでいただけると幸いです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
飯島陸斗選手プロフィール
1997年茨城県生まれ
所属:県立緑岡高→早稲田大学→阿見AC SHARKS
中学までは野球部に所属。
高校から陸上競技をはじめて、高校2年時に日本ユース選手権800mで優勝。
高校3年の時には全国高校総体でも優勝を果たす。
181cmの長身を生かした、繊細できれいなランニングフォームは、彼の魅力のうちの一つ。
今春から、阿見AC SHARKSに所属し、プロランナーとして世界を目指す。
2014年 日本ユース選手権800m 優勝
2015年 全国高校総体800m 優勝
2018年 日本選手権800m 3位
高校時代
加納:まずはじめに、これまでの飯島君の陸上競技歴から聞いていきたいなと思います。飯島君は高校時代にインターハイで優勝してるよね。
昔から足は速かったの?
飯島:僕は中学生のころまでは野球部でした。陸上競技を始めたのは高校に進学してからです。
なので、最初は特別足が速いというわけでもなく、県大会でギリギリ決勝に残れるくらいの力しかなかったんですけど、そこから順調に力がついて、高3のインターハイで優勝できたって感じですね。
加納:サラッというね(笑)
私は駅伝強豪校の出身なので、進学校で競技をやっていた飯島君がまず、どんな高校生活を送っていたのかを聞いてみたいな。
飯島:高校2年までは、勉強にだいぶ力を入れていました。
毎週小テストがありましたし、定期試験の前は机に向かう時間も非常に長くて、とても大変でした。
ただ、高校2年の秋に日本ユースの800mで日本一になったことをきっかけに陸上への熱が入り、そこからは勉強よりも陸上にかける情熱の方が高くなっちゃったんです。とにかく、陸上が楽しくて仕方なかったですね。
高校の同期とは今でも仲が良くて、大きな大会の時は応援に来てくれたりしました。まだ競技を続けているのは、僕だけになってしまいましたが、活躍している姿を高校の同期に見てもらいたいっていうのも、今は大きなモチベーションになっています。
加納:私も最後まで競技をやっていたのが自分だったから、その気持ちすごくわかるわ。「こんな遠くまで応援ありがとう!ってなるよね。」
さっき、「順調に力がついて、高3のインターハイで優勝」って言ってたけど、実際はどんな練習して強くなったの?
飯島:陸上をはじめた頃の話に戻ると、実は最初800mを専門にやるつもりじゃなくて、むしろ長距離をやろうと思っていたんです。
加納:長距離から中距離に転向したってこと?
飯島:正確に言えば、チーム内の選手選考に敗れて、長距離種目に出られなかったことがきっかけですね。
消去法で800mの選手になったんですけど、そこで入賞できて、結構走れるじゃんと自分も周りも手応えを感じたのがきっかけで、その後も800mが自分のメイン種目になりました。
加納:消去法で出た800mだったはずなのに、そこからインターハイ優勝するまでに伸びたのはすごいよ!
高校3年の全国高校総体では、800mで優勝
飯島:強くなったのは自分だけの力じゃなくて、周りの環境に恵まれたことがとても大きかったです。高校1年生の頃は茨城県内でトップを取る先輩が2年生と3年生にいて、練習は必死に食らいついていきました。
その結果、県の高校総体では3人そろって決勝まで残れたんです。でも、僕だけ7位で関東大会には進めず・・・当時はそれがすごく悔しかったです。
普段の練習でも先輩たちからたくさんの影響を受けました。朝練習は各自で行っていたのですが、誰に言われるでもなく、黙々と走っている先輩の姿がとにかく格好良かったんですよね。僕もあんな風になりたいと思ってました。
加納:確かに、高校でめっちゃ強い先輩って格好良く映るよね。
まぁ、飯島君が3年生の頃は逆に後輩から憧れの存在として見られるようになってただろうなって思うけどね!
飯島:ありがとうございます。高校から陸上を始めたので、それも良い意味で先入観がなく色んなことを取り入れられて、良かったんじゃないかなと思ってます。
陸上に関しては全然知識がなかったので、強い先輩や強い選手の真似をするようにしてました。高校時代はカーフサポーターをつけていたんですけど、これは同じ茨城県内で強かった川澄選手(大東大→現カネボウ)の真似だったんです。
日体大が箱根駅伝で優勝した時は、彼らが取り入れているトレーニングを調べてチームに取り入れたりもしました。
新しいものや、自分の知らない事をやることが好きだし、これまでやってきたことを変えることに対して抵抗感もありません。
今の自分のままじゃ絶対に世界で通用する選手にはなれないし、何かを変えなくてはいけないという常に思ってますし、新しいものを取り入れつつ、自分に合ったものを探していきたいですね。これが、僕の競技の軸かも知れません。
加納:身近に目標とする選手がいて、強くなるために変化を怖がらず、取り入れるという姿勢は、今後も飯島君の競技生活に大きく影響しそうだね。実際、インターハイで優勝した時は、恩師の先生からはどんな言葉をかけられたの?
飯島:「信じてた、良くやった!!」と言っていただきました。
加納:それはシンプルだけど最高の褒め言葉だね。「おめでとう」じゃなくて「信じてた」って言葉は本当に嬉しいよね。
飯島:実は、2日目に行われた1500mにも出てたのですが、結果は5位でした。その時のレースは優勝したタモ(田母神)「※以下:タモ」がとにかく強かった。タモはその年の世界ユースで7位になってましたし、自分のメイン種目である800mでもタモに「勝てないかも・・・」って思っちゃったんです。
でも、そんな自分の不安を察したのか、先生は「お前なら勝てる、お前の方が強い」と、すごく真っ直ぐな目で言ってくれたんです。それが自分の心の支えになって実際に勝てました。そのやりとりがあった上で、レース後に先生がかけてくれた言葉だったので、すごく心に残ってます。
加納:たしかに!それは忘れられないしずっと心に残るよね。
飯島:インターハイに向けての練習でもそうですが、恩師が僕以上に僕のことを信じていてくれたなと思っています。
今でも久しぶりに電話すると「お前なら1500mで3分30秒が切れるぞ!」と、ハッパをかけてくれる(笑)恩師は日本記録よりも更に上を見ていて、僕の事を期待してくれています。
そんな恩師の言葉を聞くと、不思議なんですけどなんだか実現出来るように思えてきてしまうんですよね。
加納:言霊ってやつかな。
それあるよね、新しいチャレンジの時や勝負の時って、集中していてもどっかで不安もあったりすることもあるから、自分をずっと見てくれている人の言葉はかなり力になるよね。
そして、さっきライバルとして名前がでた田母神君とはこの春から同じチームメイトだね。
飯島:そうなんですよ!タモとは高校2年生のころから全国大会で何度か同じレースで戦っていて、そこ時からライバル関係が続いています。
ユース選手権、インターハイ、日本ジュニア、国体と4回戦って2勝2敗の勝率5割(笑)そんなタモと同じチームってのがなんだか不思議な縁を感じますね。
大学時代
左の館澤選手(東海大→DeNA)とは、この春からTwoLapsのメンバーとして一緒にトレーニングを開始し、共に世界を目指す
加納:田母神君との話は、この後詳しく聞くとして、高校を卒業後は早稲田大学に進学してるけど、早稲田大学といえば箱根駅伝の伝統校でしょ。やっぱり箱根駅伝への思いもあったの?
飯島:大学を選ぶ時には箱根駅伝もかなり意識していました。出たいなっていう憧れです。
でも、実際に入部すると中距離ブロックと駅伝ブロックでは年間のトレーニングスケジュールが全然違って両方やるのは難しい状況でした。それで、どっちがやりたいんだって考えた時に、自分の中では駅伝よりも中距離でしたし、その時にキッパリと完全に中距離ブロックでやっていこうって決めたんです。
加納:なるほどね。でも、箱根を走る選手が中距離種目に出ていることもあるよね?
飯島:確かに、箱根駅伝で活躍するような選手がインカレの1500mに出場しているケースもありますね。
でも彼らは基本的に駅伝ブロックに所属していて、インカレに合わせて中距離に合流するような感じなんですよね。
逆に普段中距離ブロックで練習している選手が箱根に合わせて距離を伸ばすってのは難しくて、自分には無理でした。入学当初に思っていた駅伝に対しての憧れはあったので、中距離専門になったあとは、駅伝を走る同じ大学の仲間を単純にかっこいいな〜って思いながらみてましたね(笑)
加納:箱根駅伝は注目度も高いもんね。そういう仲間を側で見ながら、飯島君自身は中距離にこだわってきたってことだろうけど、その頃は何を目標にしてたの?
飯島:大学1年の頃は日本選手権で入賞したいっていうのが目標でした。まだまだ力も足りてなかったので、まずは国内の大会で結果を出したかったんです。学年が上がり記録が伸びるにつれて、だんだんと国際大会を意識するようになり、大学4年のときに開催されるユニバーシアードが大きな目標でした。
でも陸上の神様って意地悪ですね。ユニバーシアードの代表をかけた選考会に向けてのトレーニングで怪我をしてしまい、代表になれませんでした。ユニバーシアードはただ出るだけじゃなくて、そこで結果を残そうと思ってトレーニングしていただけに、ショックでしたね。
加納:最終学年での怪我か。それは辛いね。どこをどれくらいの期間怪我してたの?
飯島:元々の怪我は大学3年の11月にやってしまった足の中足骨の疲労骨折です。2箇所折れちゃって完治までには3ヶ月かかりました。でも、ユニバーシアードの選考会まで半年を切っていたので、焦っちゃったんですよね。無理なトレーニングがたたり、シーズン通して痛みが完全に抜けなかったんです。
いい感じに走れてきたと思ったら、レース前にまた痛みが出ちゃっての繰り返しで、とても苦しみました。
加納:私も痛みを無理して練習してきたことは何度もあるから、その辛さはめちゃくちゃよくわかるなぁ。ユニバシアードの予選の後は、日本選手権やインカレがあるけど、落ち込んだ気持ちをどう立て直して次のレースに向かったの?
飯島:ユニバーシアードはあくまで個人レース。関東インカレとはちょっと意味合いが違ったんですよね。関東インカレは個人の結果を点数して学校対抗で競う大会です。大学としてはそこで「トラック優勝」を目指していたので、中距離ブロックとしていかに点数を取るかをみんなで考えてきました。
主将の西久保を中心に、冬季練習の頃からチームづくりが行われ、とても良い雰囲気でした。
僕はユニバーシアードの予選で負けてしまったので、関東インカレは1500mに絞って確実に点数を取るという方針に切り替えましたが、レースはスローペースで進んでしまい、ラストのスプリント勝負で競り負け予選落ち。1500mに絞ったにもかかわらず不甲斐ない結果になってしまって、自分が情けなくて悔しかったです。
加納:気持ちを切り替えて臨んだのに、結果は厳しかったんだね。
飯島:はい。しかも、よくない時にはよくないことが続くんですよね。日本選手権は今度こそ勝ちたくて、リスク覚悟で練習の強度をあげました。
しばらくは順調に練習が積めて調子もあがってきたのですが、日本選手権が近づくにつれて調子を落としてしまい、結局ここでも予選落ち。最終学年はとことん結果が出ず、不甲斐ない思いばかり残っちゃいましたね。
加納:今振り返ればそういう経験もこれからの長い競技生活や人生においては大事って感じもするね。
失敗して学ぶって私はよく聞くし、自分自身も当然失敗の経験はたくさんあるよ。私は、「もし今の自分がその時に戻れるとしたら何をするか?」ってことを考えるようにしてるんだけど、飯島くんは、あの時こうやっておけばよかったなって思うことはある?
飯島:それは大切な振り返りですよね。当時の自分を今の自分が冷静に振り返ってみると、視野が本当に狭かったなって思ってます。怪我をしてしまったことが頭を支配しちゃって、そこのとばかりに囚われていました。それが一番良くなかったです。
もちろん、怪我を治す為に何をするかを考えることが大切なのはいうまでもありません。でも、怪我をしている時にこそ他のものに目を向けることも大事なこともあるんですよね。実は怪我をしたのは大学4年の時だけじゃないのですが、昔は怪我していても走れて結果が残せた年もあるんです。その時は周りもちゃんと見れていました。
4年生は大学最後の年でしたし、同期と過ごす時間をもっと大切にしたり、気持ちをポジティブに持てていたら結果は違っていたかもしれません。気持ちが焦っていたんでしょうね。
加納:最後の年ってなると、力んじゃうよね。
頭と体が上手く噛み合わず、色んなこと考えてグルグル迷っちゃってる様子が目に浮かぶよ。ところで、大学4年の頃の怪我は良くなったの?
飯島:はい、よくなりました。コロナで自粛生活が続いたので、リハビリに時間をさく事ができ、今は順調に進めてます。
加納:それはよかった!脚の不安が消えると、心理的にはかなり楽になるね。
阿見AC SHARKS
阿見ACSHARKSのメンバー、左から田母神一喜選手、楠康成選手、飯島選手
加納:この春から阿見AC SHARKSに所属してプロランナーとして活動していくんだよね。大学を卒業してから競技を続けていくってなった時に実業団ではなく、プロチームを選んだ理由を聞いてもいいかな?
飯島:一番のきっかけは阿見AC理事長の楠さんが、「日本の中距離を変えたい、そのために陸斗の力を貸してほしい」っ言ってくれたことでした。
タモもインタビューの中で話していたと思うんですけど、僕自身も高校、大学と中距離をやってきて、中距離は立場的に弱いなと感じる部分がありました。今は、誘ってくれた理事長のためにも自分の為にも阿見ACでやってみたいと思ってます。
加納:win-winの関係って感じかな。同じチームメイトの楠君や田母神君の存在は大きかったのかなって思うけど、その辺りはどう?
飯島:タモとは大学生の頃から卒業後の進路について話す機会があったんですよ。その時に「同じチームに行こう」っていう話もしてたんです。ずっとライバルとして戦ってきたタモと一緒に強くなりたいって思ってました。
加納:ずっとライバルだったのに、そんな風に昔から仲良かったんだね。ライバルと同じチームって、現役の時の私やったら無理だっただろうな。
阿見ACSHARKSの3人を客観的に外から見てると、それぞれ個性があって面白いなって思うんだけど、飯島くんが思う3人の強みや個性ってどんなところにあると思う?
飯島:タモは、自分が大事にしているものへの熱意がとても強くて、しかもその軸がブレないんですよね。何が何でも突き進んでいく強さみたいなものがあって、そこがすごいなと思ってます。
加納:何か物事を始めたり続けたりする時、短期的に集中したほうが結果を出しやすいタイプと、中長期な時間軸で物事を継続していったほうが結果を出しやすいタイプがいると思うんだけど、田母神くんの場合はきっと「短期型」だろうね。
飯島:まさにそうだと思います。一点集中の度合いと、人を巻き込む力が凄いんです。自分の好きなものに向かっていく嘘偽りない姿は本当にすごいなって思うし、僕自身も、そういうタモの姿に惹かれる部分があるんです。そして何よりも競技も楽しそうにやる。
加納:田母神君の人を巻き込む力って先天的に備わったもののような気もするね(笑)
飯島:確かに、そうかもしれませんね(笑)ただ、僕自身タモが作るモノやコトに巻き込まれるのを望んでいる部分もあるんですよね。そう言った意味でタモはチームには欠かせない存在です。
加納:ライバルだけど、チームメイトとしては本当に頼れるいい関係だね。楠くんはどう?
飯島:楠さんは、元々阿見ACでずっとやってきてるので、スポンサーのありがたみや阿見ACでやる意義を誰よりも分かってるんですよね。阿見ACで競技を続けることを決めてから自分なりにたくさん考えて理解してきたつもりでしたが、楠さんと話すとその辺の認識がまだまだ甘いなって痛感させられました。
加納:みんなの話を聞いてると、自分の実業団時代の頃と比べちゃうけど、当時はなんだか「ぬるっ」とチームに入った感じがしちゃうんだよね。飯島君が言ったようなことを考えるまでに行き着かなかったから。いろんなことを考えて所属チームを選び、そこで頑張ろうとしている飯島君はすごいと思うし、幸せだと思うよ。
じゃぁ、最後に飯島君自身の強みとか特徴って何だと思ってる?
飯島:なんだろうなぁ(笑)強みっていうのとちょっと違うかもしれませんが、チームの中での役割を考えたときに、自分は2人の調整役なんじゃないかなって思ってるんです。
3人とも個性が違うし、1人でも十分いろんなことができると思うんですけど、3人いるからこそできることもある。お互いはもちろんライバルだけど、1人が結果を出したらあとの2人が自分の事のように喜べるようなチームにしていきたいなって思ってます。
加納:なるほど。そういう想い自体が飯島君の個性であり強みなんだろうね。
今年は新型コロナウイルスの影響で、スポーツ界は大きな影響を受けたよね。飯島君にとっては新社会人として新しいチームでスタートしたばかりのタイミングでいきなり自粛せざるを得ない環境になったと思うけど、今の率直な気持ちはどうかな?
飯島:今回の期間は、自分の置かれている立場や、阿見ACに所属して競技を続ける事の意味を改めて認識する期間になったと思っています。
競技以外の事を考える時間を長く取ることって、これまでほとんどありませんでした。練習ができなかったり、大会がズレ込んだりしたのは仕方がない状況なので、逆にこの時間を自分の中にある想いを整理するのに使っています。
こういう時間ができたのは、きっと良かったんでしょうね。
加納:確かに、高校・大学とずっと競技やっていると、なかなか振り返ったり競技以外のことに目や耳を傾けることってないもんね。目の前のことでいっぱいいっぱいになってると、競技の結果とか、怪我とか、不調とか・・・本質が見えづらくなって、目の前の課題をどうしようかってことばかりに意識がいっちゃうよね。
飯島:そうなんです。ずっと目の前に起こっている出来事ばかり気にしていたことが学生時代には何度もありました。
加納:TWOLAPSでは勉強会もやってるし、色んな人からいろんな角度で話が聞けたのもいい時間になるよね。飯島君は最近noteを始めて、自分の中にある想いをアウトプットすることで変化はあった?
飯島:書くまで時間はかかりましたが、自分の想いを言語化することは意外と面白いなって思いました。振り返ってみると、色んな気づきがあるんですよね。noteにも書いたんですけど、大学4年生のときは、「自己解決」することが多かったんです。
加納:「自己解決」することが多いってどう言うこと?
飯島:大学生の頃は結果を出すことが競技に励む一番大きなモチベーションでした。そこばかりに拘ってしまった結果、無理してでも練習をつづけようと自己判断して続けちゃったんです。
でも、痛くてまともに練習もできないし、当然結果も出ない。大学4年生の頃は痛みでまともに練習もできず、人生で初めて自己ベストを更新できない1年になっちゃいました。苦しかったですね。
加納:なるほどね。
やっぱ、大学4年の1年間ってのが今の飯島君にとってかなり心の中に残っているんだね。責任感の強さが伝わってくるわ。
飯島:もしその当時、日常生活など競技以外のことをもっと競技に繋げられていたら、あんなに苦しんだり悩んだりしなかったかもしれないなって思うんですよね。今更?って感じですね(苦笑)
加納:でも、今気付けるって、すごくいいタイミングだと思うよ。私は競技をやってた時に薄々気づいていながら、行動には起こせなかったから。
飯島:TWO LAPSに合流してから、横田さんなど色々な方の勉強会でお話しを聞く機会をもらって、学びは本当にたくさんあったんです。
それが本当に繋がったのは、加納さんが勉強会で「引退後に気づいたこと」について話してくれた時だったんです。断片的に学んでいたことがつながった感じがして、その日の午後にnoteを書き始めました。
加納:私の話に影響を受けてくれたのならすごく嬉しいね!飯島君のnoteは読んだけど、すごくまとまってて読みやすい文章だったよ。
飯島:書くのは苦手って思ってたんですけど、意外とスルッと書けました。横田さんからも、常に自分に問うことを求められていたので、それも書きやすく感じた大きな要因だったんでしょうね。
加納:横田君の答えを出さないという、コーチングスタイルはすごいテクニックだよね。これを現役時代に出来るって、これからの人生を過ごす中で自分を知ってもらって、いろんな人を巻き込めるきっかけになると思うよ。
飯島選手が語る中距離への想いと魅力
加納:この春から社会人になって、今後も中距離を中心に競技を続けていくと思うんだけど、更に上にいくために、今の自分には何が必要だと思う?
飯島:いろんなアスリートを見ていて、「何をモチベーションにするか?」というものが重要だなと思っています。
例えば、僕は格闘技が好きでキックボクシングの那須川天心さんの試合をよく見ますが、彼は自分の結果だけでなくキックボクシングそのものをどう盛り上げていくかっていうところも大切にしてるんです。
会場で観客を目一杯楽しませようとしていて、そこにはキックボクシング自体を背負っているようなオーラがあるんですよね。そういう人は本当に強い。
楠理事長も「中距離界を変えていこうとするなら、中距離界を背負って、その第一人者になっていくという思いが大事だ」っていうスタンスを大切にする方ですが、競技の結果と、中距離を背負うっていう想いが上手く結びつけば、本当に強いだろうなって思っています。
加納:横田コーチは現役時代に44年間止まっていた「時計の針」を動かして800mでオリンピックに出場したけど、なんだか歴史を動かすこと自体が中距離を背負うってことにつながりそうな気がするね。
1500mは1964年の東京オリンピック以降、誰もオリンピックの舞台に立てていないから、来年の2021年大会で代表に選ばれたら56年ぶりの出場になるね。
飯島:56年は長いですね・・・阿見の選手の中か誰か代表になれたら最高です。
そして、そこで中距離の魅力を広く発信できたらいいなって思ってます。なぜなら、中距離って見ていて本当に面白い種目なのに、その魅力が十分に伝わっていない。4分弱のレース中に注目すべきポイントがいくつもあって、それを知るとよりレースも楽しめるんですよ。
加納:じゃぁ、飯島君から中距離の魅力を語ってもらおうかな(笑)
飯島:わかりました(笑)
中距離の選手の中にも、最初から飛び出して先行逃げ切りを狙う選手もいれば、後半のラストスパートで勝負する選手などいろんなタイプがいます。
そういった得意なパターンが違う選手がお互いに探り合いながらレースをするので、心理戦のようになるんですよね。レースの展開によっては自分の得意なパターンに持ち込めないこともあるし、そこがまた面白いなって思うんです。
そういったことを知ってると、「今日のレース展開はあの選手に有利だ」とか、「この展開からあの選手はどんなふうに修正してくるんだろう」っていう見方ができるようになりますよ。
加納:単純に勝ち負けを見るんじゃなくて、いろんな駆け引きがあることを知った上でレースを見ると更に楽しくなりそうだね。まぁ、選手は大変だけど(笑)
飯島:色んな視点で見ることができれば更に面白いと思います。
800mなら2分弱、1500mなら4分弱で終わるので、見るにもちょうどいい時間ですから(笑)でも、マラソンの中継は2時間以上あるのに、人気ありますよね?
加納:マラソンのテレビ中継は人気あるよね。中距離種目と違って、一般市民ランナーとして自分自身で走っている人も多いってのもあるかもしれないね。ちなみに、飯島君はマラソンって走ってみたい?性格は向いてそうだけど。。。
飯島:1回くらいガチではなく、走ってみたいなって思います。
フルマラソンは走ったことありませんが、富士山には登ったことはあります。頂上で天候悪くて、風速30mとか吹いていた日で死ぬかと思いました。
加納:私も1回登ったことあるけど、行きの上りより帰りの下りの方がしんどかった。とは言え、現役の時のアルバカーキの距離走方がもっとしんどいので、富士山はただ楽しかった。
オリンピック、その先への想い
加納:東京大会が2021に延期になったけど、飯島くんはそのことについてどう思ってるの?
飯島:東京が今年開催だったら、怪我の影響もあって100%無理でした。
でも、オリンピックが1年延期されたことで、目指せなくはない目標になりました。
以前はパリオリンピックを目標にしていましたが、東京も狙っていこうという気持ちになりました。東京2020を足がかりにして、2024年のパリオリンピックでは横田さんを超える結果を出したいです。
加納:いろんなタイミングが飯島君にとって追い風になるようなら、それをうまく利用するしかないね!ちなみに、その超えるべき目標になってる横田コーチとは、この数ヶ月でどんなやり取りがあったの?
左、横田真人コーチ
飯島:横田さんからはまだ技術的な面は教わってないんです。この数ヶ月は、技術の前に大切なことを学んでいて、そこの大切さに気づきました。
横田さんからは、よく何のために結果を残したいの?って聞かれます。
最初は「オリンピック出たいから出たいんです。」ってくらいにしか思っていなくて、そこを考えていくと面白いなと思って、モチベーションにつながるなと。そこの重要性は、最近学んで自分が大きく変わったところです。
加納: 「オリンピック出たいから出たいんです。」って、そうだと思うよ。「なんで出たいの?」って問いかけも、なかなかそこまでは考えない。
私も、引退してその問いかけの重要性って大事だなってはじめて気づいたところもあるな。私は技術で始まって、技術で終わったよ。
飯島:横田さんからは、技術も学びたいって思っています。
これまで、指導者という指導者に見てもらったことがなくて、今は、横田さんの指導に完全に乗っかりたいなと。
やったことのないことをやってみて、自分がどう変わるのか、それを楽しみながらやっていきたいです。
練習量は増えているんですけど、今、怪我しなくて走れていて、今後が楽しみです。
加納:変化を楽しみながら競技するって、強いよね。
あと、飯島君はオリンピックの先への想いって今あったりするの?
飯島:そこは、まだ模索中です。でも、今やっていることは、この先の人生には活かしたいと思っています。
それが、指導者なのかクラブチームに関わるのか、そのあたりは自分の中で整理しながら考えていこうと思っています。
加納:いろんな人に会っていくことで、影響も受けると自然と考え方も変わって来るからね。飯島君は、新しい事に触れることや変化を拒まないから、これからがとても楽しみだね。
今日は、沢山話を聞かせてくれてありがとうございました!
横田真人コーチから
陸斗が阿見に入ると決めて、僕と面接した時のことはおそらく一生忘れません。
阿見に入る=twolapsでトレーニングすると脳内で自動変換されていて、なんでtwolapsでやるのか、どんな選手になりたいのか全く考えていなかった表情でした(笑)
そこから半年以上が経過をして、田母神のついでに僕に怒られたりする中で、色んな事を考えたのだろうなとこのインタビュー記事を見て思いました。
技術面も精神面もおそらくこれまでと全然違った事をtwolapsで教わっている中で、少しずつ理解し、チャレンジしようとする姿が印象的です。
少しずつ少しずつ前に進む先に陸斗が目指した世界と、陸斗が考えもしなかった世界が待っていると思います。
3′30″の世界へ連れて行ってください!
対談を終えて、加納由理の振り返り
今回、飯島選手のお話を聞かせて頂いて、一番印象深く残ったのは、大学4年時の怪我の葛藤の話です。
実は、私も大学4年時に怪我で半年間レースに出れず、大学最後の関西インカレを走ることができませんでした。
なので、飯島選手が怪我をした時の不安な気持ちや焦る気持ちは痛いほど分かるつもりです。
しかし、苦しい中でも結果を求め、自らいろいろなものに触れ、気づきを得て、実行に移してみるという姿勢は、今後の競技や人間性。人生において、様々な可能性を生み出してくれるでしょう。
また、飯島選手は優しさがにじみ出るようなタイプですが、オリンピック男子1500mという種目において56年間止まった時計の針を動かし、中距離界を盛り上げていきたいという心の強さをヒシヒシと感じました。
まだまだこれからの選手です、たくさんの仲間と大人を巻き込んで、思い切り競技をしてもらいたいですね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。