2022月02年03日
マラソン選手の引退後ってどうすればいいの?
私は2014年に引退し、次のセカンドキャリアをどうするかというところで苦しみ悩みました。
35歳まで現役を続け、それまでの人生は陸上競技だけでした。
ですからその後、仕事をしろと言われても、何をすればいいのかまったくわからずとても悩みました。
私自身も1年半悩んだり苦しんだり迷ったり自信を失ったりしました。
世の中アスリートのセカンドキャリアというものはとても問題になっています。メディアにはでてきませんが、多くの方はぶち当たるはずです。
ある程度、結果を残してきた方や、華々しいキャリアがあった方のギャップはかなり大きいはずです。
そのあと社会にどう戻っていけばいいのかということは社会問題になっています。
2009年ベルリン世界陸上競技大会を走る加納由理
西田さんも、同じ時期に一緒に男子マラソン選手として活躍し、引退し俳優業などを経て、現在はマラソン大会の主催をするなど幅広く活躍しています。
そんな、西田さんをお呼びして、アスリートのセカンドキャリアについて色々考えていきたいと思います。
私が苦しんだり悩んだりしたことなど、生々しいお話もしていきます。
西田隆維さんのプロフィール
西田さんは大学時代に私と同じ年のユニバーシアードで日本代表になり、その時からの知り合いです。
実業団では2001年エドモントンの世界選手権で男子マラソン9位という成績を収められています。
現役時代の西田さん
西田さんは、私よりも5年前(31歳の時)に競技を引退し、引退後は俳優などユニークなキャリアを積まれ、現在は自分で会社を起こしマラソンのイベントの主宰企画などで全国を飛び回っています。
アスリート引退後のお金の事情
加納:それでは西田隆維さん、今日はよろしくお願いいたします。
今日は色々とお話をさせていただきますが、まず初めにアスリートのセカンドキャリアでどうやってお金を稼いでいくのかというのがポイントだと思います。
もっと言うと自分は引退後、何をやっていくのか?というのがはじめに出てくるのかなと思うのですが、西田さんはセカンドキャリアを選ぶときどんなふうに考えていましたか?
西田:僕は現役の時に、すでに次にやりたいことが決まっていたから準備はしていたんだよね。
役者とか。もともと駒澤大学の仏教学部に入ったのはお坊さんになるためだったから、アスリートとしてずっとやって行くつもりはなかったの。(※西田さんのご実家はお寺)
もともと「これをやりたい」という事がたくさんあったかもしれない。
加納:それは俳優や社長になりたいと元から考えていたということですか?
西田:大学入ったときはお坊さんだったけど、途中から俳優に
加納:ランナーから俳優ってあまり聞かないですよね?
西田:アスリートでは珍しいかもね。ただ単にやってみたかっただけかな
俳優をしていた頃の西田さん
加納:俳優するのに演技力とかスキルが必要じゃないですか、子供の頃から劇団で鍛えている人もいると思いますが、そういうのは大丈夫だったんですか?
西田:気にならなかったね。31歳で劇団に入ったけど、31歳新人ですって。
他には10代の役者さんもたくさんいたけど、自分がやりたいことだし恥ずかしい思いをしたり、失敗するのは当たり前だと思っていた。
1からのスタートなのだろうな、って思い描きながらそこに足を突っ込んだから覚悟はできていたよ
加納:俳優されるのに金銭面はどうされましたか?
西田:それが、実は大丈夫だったんだよね。
それまでも自分で色々引退する前から自分の生活を気にしなくちゃいけなかったから、現役時代にいいスポンサーを見つけておいて、引退後も夢を叶えられるように自分で周りは固めていたかもしれない。
もちろん、引退後の給料はガクッと下がったけど、生活できるだけの給料はもらえていたね。
加納:引退する前からやっぱり、そういうことを考えている選手は多いのですかね?
西田:たとえば今、日本に海外からの選手が来ています。ケニア人とかね。彼らはたとえ企業に入ったとしても、のちに自分の国に帰されることはある程度分かっているから、次のことを考えている。
それを見ていると、彼らは結果も出しているし、競技には集中しつつ次の人生も考えるってことは別にマイナスなことではないと思うのね。
「デュアルキャリア」って競技以外のキャリア形成という考え方もできているしね。
※デュアルキャリアとは?
「競技者としてのキャリア形成(競技に強くなる教育)」と「人としてのキャリア形成(人生にとって必要な教育)」の両方を同時に取り組むという考え方で、アスリートの引退後を含めた「人生全体」を考えたキャリア育成論。
加納:実は、私はアスリート時代に次のことなんか全く考えてなかったんですよね。
私の場合、引退後のことを考えたら、集中できなくなっちゃうみたいな感じがあって、そこまで余裕が一切なかったです。
西田さんは、競技をやっているときに次のこと考えたらパフォーマンスに影響は出ないんですかね?
西田:もしかしたら競技一本だったらもっといい成績だったかもわからないけど、そもそも最終的にやりたかったことが役者とか他にもあったから、競技一本って感じではなかったんだよ。
僕はオリンピックでメダル取りたいとか、その先に俳優で名を残したいとか、やってみたい事が色々あったから。
それができなかったら、自分がスポンサーとか見つけて、「こっちがだめなら違う方向から行ってみよう」みたいな感じでやってきたわけ。
加納:私と全然違いますね。そういう考えを持っている、ってことを現役時代に聞きたかったな。私なんか、辞めた後になって焦り出しましたよ。
アスリート引退後の世間の目との向き合い方
加納:次に、セカンドキャリアで大変なのは有名になった後、引退すると一般人になってしまいます。
そうすると、他人からの視線やそのギャップに苦しむ人も多いんじゃないかなと思います。
私も実は、引退後1年くらいお休みして、その後、「とにかく働かないといけない」と思い、近くのスーパーでアルバイトをしたことがあったんです。
そしたら、職場で「あれ、加納由理じゃない?」とバレて、私本人には言ってこないで噂されている。それですごく嫌な思いをしたことがありました。
西田さんは引退後、世間からの視線に苦しんだりしましたか?
西田:元々、陸上の世界でやっていた西田が役者の世界に来ても「すぐには通用しない」と自他共に思っていたから、あまり気にならなかったのね。舞台やるときにファンがたくさん見に来てくれたりしていたよ。
辞めた後も自分が頑張っていること、やっていることに関して応援してくれる人はたくさんいるんだって思えたよ。
もちろん現役時代に比べれば、人数は減ったけど。
俺は、選手としては23歳くらいの時が絶好調だった。そのときはメディアや地元もいっぱい人が応援してくれた。でも、だんだん怪我が多くなってくると、極端に声をかけてくれる人が減ったんだ。
引退する前は大会に出ても、メディアの人が声かけてくれることも減って「別にそれは当たり前かな」って。
若いうちにこういう経験したから、世間の目にもあまり気にならなかったのかも。
だから、「そういうもんだ」と思うようになったら、言われたことに関して全部凹んだりはしないし、意見が正しければ真摯に受け止めるようになったけどね。
加納:私もアスリート時代の後半、怪我が多くなり、成績が出なくなっていったときに「あいつはもう終わったんじゃないか」「落ちていってる」とか、そういう周りの目があって、なんだか自分には価値がないように思えてきてしまったんです。
西田:自分が全盛期から引退するまでで、だんだん落ちてくるのって肌感覚で感じない?俺はそういうものだと思ってたよ。そこはマイナスではなくて、そうだよねってね。受け入れるしかない。
加納:私の場合、周りの目線で自分の自信も落ちていきましたよ。
西田:自信ね、そういう時って、自分の力も出せなくなっちゃうんじゃない?
加納:でも、その時は私は負けず嫌いだったので、全盛期までいかなくともそれなりには結果を出して終わりにしたいとは思っていたんですよ。
西田:加納は壁にぶつかっても打ち勝つような感じがあるよね。俺は壁にぶち当たったら、ひゅるって抜けていく感じだよ。
だから周りは、「あいつ、またあんなことやってるよ」みたいに言われる。加納の方がちゃんと地に足をつけながらやってるんだろうなって。俺は地に足をつけないからね(笑)。
加納:いや、そんなことはないですよ。わたしはもっと人と体当たりでぶつかっていきたいです。
こう見えて、私は人の反対を押し切って自分を突き通すことはできない。結局、いつも自分が我慢しちゃうんです。
でも、西田さんは、そう言うけど人望も厚い、人柄なのかなって。だから、後輩はみんなついて来てくれるんじゃないですかね。
西田さんだから許せるってことはあると思いますけど。
西田:それよく言ってもらえるんだよね。たぶんいい意味でも、悪い意味でも人に頼るのがうまいのかな。
できないときは出来ないって正直に素直に言える時が多い。
それで助けてもらって違うことで返そうかなって思ってる。人は頼られると嬉しい、「利用する」と「頼る」のは違う。うまく人に助けてもらってる。本当に自分では何もできないけど、相談を受けることが多くて、その人が信用できるなら自分が信用できる人にパスしたりするよね。
加納由理のセカンドキャリアは西田隆維のおかげ!?
加納:私も西田さんに、いま所属するウィルフォワードを紹介していただきました。西田さんから「加納はゲストランナーとかランニング教室とかワイワイやるタイプじゃない。仕事のことをちゃんと勉強してからのほうがいい」って紹介していただいたのが、ウィルフォワードだった。
「なにか理由があったんですか?」
加納由理の所属するウィルフォワードは企業のマーケティング支援を行う会社。代表の成瀬は加納由理の右隣
西田:確かに1年半前の加納由理にはこういう環境ってなかったよね。あのときは加納自身もどうしていいかわからないって感じで、一歩先に行くのも怖い。
どうして良いか分からず人間不信みたいな状態だったよね。
だから、うちでイベントしてもらうとかじゃなくて、人の殻を破ってくれるようなウィルフォワードの代表の成瀬さんがぴったりだなって思ったんだ。
本当の加納由理。
今後、自分で動けるような加納由理にしてくれる場所が成瀬さんじゃないかと。
加納:本当ですね。いまはブログとかSNSとかしてて、周りから「見てますよ。」とよく言われます。
私、現役時代はできっこないって思ってたんです。人前で話したり講演するなんて出来ないと思っていました。
だから、西田さんの選択が的を射ていましたね。
西田:簡単な答えなんだけど、成瀬さんに投げておけばいいかなみたいな。
マラソンも好きだしこれはいいなって。守護霊が言ってたわ。笑
ウィルフォワードの代表の成瀬拓哉さん、自身も大学時代に箱根駅伝を目指した経験がある。
引退後、自分の居場所のない恥ずかしさ。
加納:正直な話、西田さんに相談した時、世間の目が嫌だったんです。
「今、何やっているの?」って言われるのが嫌だった。
その時はどこにも属してなくて『自分の居場所』がないのが恥ずかしかったんですよ。
西田さんに紹介していただいてウィルフォワードで、今、SNSの発信をしたり、講演のためのスピーチの練習をしたり、地域創生で十日町に行ったりしているんですが、これもすごい変化です。
講演やランニングイベントで話す機会も多い
西田:僕も「なにやってんの」って言われるよ。そういう時は「ふらふらしてる」って言う。アスリートってトップレベルに行くほどちょっとしたプライドが高くなるんだよね。
落ちた時に「今、何やってんの?」とか今までちやほやされてたのが無くなると、自分の居場所がなくなっちゃったんじゃないか?って思うけど、実際探すとちゃんと自分の周りには応援してくれる人っているんだよね。本当に身近な両親とかいるんだよ。
でも、落ちてくるとそれが見えてなくてさ、自分には居場所がないって思っちゃうんだよ。
だからもったいないと思う。そこからスタートすればいくらでもチャンスはあるんじゃないかなってさ。
アスリートって常に上へ上へって目指しているから、どんどん上へ行く時はいいけど、急になくなった時に自分に何もないんじゃないかって。
学生もそうだし、他の人も一緒じゃないかな。今なんか、洋服着てご飯たべれる自体、そこで良いんじゃないかって思うよね。
今回対談インタビューをしてみて…
初めての対談記事。
初回は、今私がプロデュースしていただいている「ウィルフォワード」と繋げて下さった西田さんとの対談でした。
現在、メディアでもよく取り上げられている、アスリートのセカンドキャリア問題。
西田さんともこの問題について、入り込んでお話することはありませんでした。今回、お話しして競技をしている時から、気持ちの方向性は違っていたんだな。ということが分かりました。
そして、西田さんのお話を伺う中で、セカンドキャリアを作って行く上で、2つの大切なポイントに気づきました。
それが、
1つ目が、応援してもらえる人柄であること
2つ目が、共に成長しあえる仕事のパートナーに恵まれるか。
という点です。
西田さんとのお話を聞いていると、その人柄に人が集まって行く感じがしました。
西田さんは、現役時代もあの変わらない気さくな性格で、人から厚い信頼を寄せられていました。
いろいろな情報もこうした人柄や信頼から引き寄せられることだと思います。
それは、普段から周りへの感謝したり、思いやりを持っているところではないかと思います。
現役時代の栄光という「旬」は、どんどん過ぎて行くものです。
陸上業界でもセカンドキャリアでも成功している方というのは、現役時代にすごい成果をだされていても、謙虚で奢らず、感謝する方が多いと思います。だから、愛されつづけるのではないでしょうか。
伊豆大島マラソンのゲストランナー・トークショー(西田隆維さんと加納由理)
また、2点目のパートナーに関してですが、今回のインタビューでは出てきていませんが、西田さんをバックアップして一緒にイベントをしている吉澤永一さんの存在も外すことはできません。
吉澤永一さんが、西田さんと一緒にイベントの企画をしたり、サポートをしてくださるため、西田さんも営業しながら、表舞台にたって活躍ができているとのことでした。
※吉澤永一さん:20km競歩元日本代表。(2003年パリ世界選手権代表)
現役引退後はイベントや大会などで子供から高齢者まで幅広い年代に様々なスポーツを中心に、特に体のバランス、体の使い方などの指導をされています。
私たち、アスリートは現役時代の「知名度」や「そのスポーツ業界内での信頼」を強みとしてもっています。
逆に弱みとしては、その強みを引退後どのようにビジネスに活かして行けばいいのかを知りません。ですから、指導職に就けない元アスリートは、どうすればいいのか困るのです。
私は現在ウィルフォワードという企業のマーケティング支援をしている会社に所属しています。ここでマーケティング的な視点を学び、私の経験や今までの知名度をビジネスに活かすにはどうしたらいいのかという観点でマネジメントおよびトレーニングをしていただいています。ちなみに、この記事も監修してもらいながら、自分で書いています。
ですから、こうしたマネジメントをしてもらうことや、新たな仕事のパートナーに出会えるというのも大切なことだと思いました。
マネジメントをしていただく上でも、人に応援してもらえる人柄や感謝を忘れない姿勢はとても大切だと思います。
西田さんとはよくお仕事でご一緒させていただき、ビジネス経験は私よりも数段上です。
お仕事をさせていただいた時は、毎回新しい発見があり、いつも見習わせていただいています。
私自身も、アスリートのセカンドキャリアの道は歩き出したばかりですが、答えのない未知な世界です。
今までのように色んなことに挑戦し、アスリートセカンドキャリアの道を作るべく、頑張って行きます。