2022月02年03日
こんにちは、加納由理です。
今回は、資生堂時代の大先輩、弘山晴美さんとの対談記事、第2弾。
前回の「世界と戦うメンタルの鍛え方」に続き、今回は「世界で戦うための戦略」についてお話を伺いました。
世界の舞台で力を発揮するための秘訣をお話し下さっています。
世界で活躍するためには、色んな苦痛があると思われがちですが、弘山さんが語る、力を発揮するための秘訣は、とてもシンプルなものでした。
これから競技力を上げていきたい選手、選手を指導する選手、高いレベルでタイムを上げていきたいランナー、そして弘山晴美さんのファンの方にも響く内容になっています。
是非、読んでいただけると幸いです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。
国際感覚を身につける
加納:晴美さんは、オリンピック3回、世界選手権4回に加えてヨーロッパ遠征など、多くの国際レースを走られていましたが、オリンピックや世界選手権に対して、特別な緊張感はありましたか?
私は、当時練習を見てくださっていた、川越監督がオリンピックや世界選手権の時に周りの雰囲気にのまれないようにと、トラックをやっていた時からマラソンで世界トップランナーと一緒のレースに出させてくれていたんですよね。
いざ、世界選手権でスタートラインに立った時は、結構緊張しましたが。
弘山:世界大会で力を発揮するには、先ずレース当日までに調子を持っていくことですね。
調子をつくれていないと、場慣れしていても積極的なレースができないからね。
そのためには、トラックもマラソンも海外レースにいっぱい出て行った方がいいですね。
トラックの場合は、大きなレースは持ちタイムが良くないと出れなくて、だから、国内レースでもしっかり記録をだしていくことが大切になるんだよね。
でも、海外レースになると、国内で戦う感覚と全く違って意外と戦えない。
海外のレースは国内でのレースとは違って、国内のレースのようにはいかないんだよね。
海外でも、記録狙いのレースもあるけど、さっき言ったように、レースに出るためには持ちタイムが必要。
だから、レベルの高いレースは力がある選手が揃っている分、自分の走りやすいポジション取りが出来ないことも多いんだよね。
集団の中に入っちゃうと一定のリズムで走れなかったり、揺さぶりも多いから、そういうのに慣れるためにも、どんどん出て行ったほうがいいと思うね。
揺さぶりも、経験して失敗もすることで、色んなものが見えてきて慣れてくるのかなと思うな。
記録も大事だけど、自力をつけないと国内でも戦えないし、海外なんてもっと戦えない。
揺さぶられたら耐えられないから。
2004年アテネオリンピック10000m
加納:本当ですよね。
私も、2009年のベルリン世界選手権の時は、前半自分の走りやすいポジション取りが出来なくて、集団の前にいけない焦りもあって、思った以上にメンタルも体力も消耗してしまったという経験をしましたね。
ペースはそこまで速くないのに、身体がきつい感覚って、世界大会独特ですよね。
ところで、晴美さんはマラソンだけでなく、中距離から上がってこられた選手ですが、そこはマラソンと関係しているんですか?
弘山:私は中距離から距離を伸ばしてきたってこともあって、1500mを極めてきたというのもあるから、距離を伸ばしたいのであれば、1500mからしっかりやったらいいんじゃないかと思うな。
1500mで戦えるスピード持久力がなくて、5000mにいくから、海外レースの揺さぶりに苦戦するのかなって。
中距離のレースも、コンスタントに走ってもらいたいと思いますね。
加納:なるほど、たしかに1500mのスピード持久力って大事ですね。
1500mをやることでスピードに余裕が出来て、尚且つ持久力もできる。
そこで戦えたら、5000m、10000mの揺さぶりに対しても余裕は出てきそうですね。
中距離からマラソンへ
加納:男子で言うと、マラソンで日本記録を持っているのは中距離出身の高岡寿成さん。
晴美さんも中距離からマラソンに距離を伸ばしてこられました。
それを、実践してきた立場として、中距離から長距離へ最終的にはマラソンにどう生かすことが出来ましたか?
弘山:私、実は中学時代は短距離と中距離をやっていて、思いっきり走りこむことによって、距離も走れるようになってきたんだよね。
その頃は、どれが自分に向いていて、どの種目をやりたいというより全部やっていた感じだな。
加納:色んな種目をやってみて、どの種目が好きでしたか?
弘山:私は1500mが一番好きで、性格的に長くだらだら走るより、短い方が好きだな。
加納:1500mからマラソンまで上がっていく選手は、なかなかいないですよね。
男子で言うと、瀬古さん、高岡さんあたりでしょうか?
弘山:1500mはスピード強化には重要な競技だと思うな。
そこをやっていくと、自分の持っているスピードが速くなってくるよ。
1500mは私も追求し続けて、ベスト記録は4分11秒まで伸ばしたよ。
加納:日本記録をバンバン更新している時に、めちゃみていました。
私は、まだ、中学生でみるものすべてにいちいち影響されていた時期ですね。
弘山:資生堂を入社していて2年目で日本選手権1500m優勝。
3000mは、8分50秒くらいまで記録を伸ばしました。
中距離を走っていた頃が楽しかったな。
加納:晴美さんは1500mが一番好きと言うことでしたが、最終的には10000m、マラソンまで距離を伸ばしてこられました。
距離を伸ばしてこられたということは、やはり、長い距離のほうが世界と戦えると思われたからでしょうか?
1999年のセビリア世界選手権の10000mで4位に入賞されていて、2005年のヘルシンキ世界選手権ではマラソンで8位に入賞されていますよね。
中距離から徐々に距離を伸ばされたのは、10000mやマラソンならメダルを狙えると思われたからなのでしょうか?
弘山:性格的には1500mが好きなんだけど、10000m、マラソンでないとオリンピックや世界選手権ではメダルは狙えないと思ったから、距離を伸ばしていったね。
マラソンやりだしたら、5000mや10000mのトラック種目をやらない傾向になってくるけど、私は、春と秋にトラックをやって冬にマラソンをやっていたよ。
トラックでのスピードをマラソンにそのまま持ち込むと、すごく走りのリズムが良かったから、私はそのやり方が合っていたね。
加納:確かに、そのリズムという感覚。
私もトラックレースやってからのマラソンの方が走りのリズムは良かったですね。トラックでのスピードをマラソンに持ち込めたほうが、マラソンのペースには余裕がありました。
そして、私は、マラソンやりだしてから、レースで外すことも少なくなりましたし、スタミナがついたことで10000mやハーフマラソンの記録も伸びていったんですよね。
私は、マラソンに適していたと思うんですけど、マラソンをやったことでもう限界と思っていた他の種目で記録を更新できたのは、面白い発見でしたね。
マラソンやると、スピードなくしてしまうと思っていた概念が崩されました。
弘山:そうだね。
だから、これからの選手もトラックはトラック、マラソンはマラソンってならずに、色んな種目を交えてやっていけばいいと思うな。
違う種目をやることで、いい気分転換にもなるしね。
2000年シドニーオリンピック10000m
長く競技生活に携わる秘訣
加納:晴美さんは、現役を40歳まで続けられてきましたよね。
日本人の選手でここまで一線で長く続けられてきた選手はまだいないと思うのですが、何が晴美さんの原動力だったのでしょうか?
弘山:長く続けられたのは、夫婦でやっていたことが大きいと思うな。
夫婦でやっていくのは、自分たちのスケジュールで動けたり、練習もコントロール出来たりするメリットがある反面、実は、いいことばかりじゃなくて、女性ならではのイラッとした時とか、ぶつかるときもあったよ。
加納:グランドで喧嘩を見た時はこっちがビビりました。
弘山:最後の2年くらいは、自分のためだけに競技をするんじゃなくて、チームの後輩の為に走っていたかな。
後輩が6月の日本選手権に出るための記録を持ってないから、記録を切るためにアシストしたり、練習を引っ張ったりしたよ。
自分が結果を出すというところから、走り続けることで後輩の育成という方向にシフトしていったな。
2008年名古屋国際女子マラソン、別々のチーム所属になった1年目
加納:確かに、年齢重ねて後輩がいっぱいできると、自然に自分の役割って変わってきますよね。
晴美さんは、競技での実績がすごいので、私もその1人なんですけど、晴美さんがチームにいるだけでも学べるところ多かったと思います。
年齢を重ねていくと、アスリートしての表現は、若い頃とは違ってくると思います。
例えば、晴美さんが私たちに見せてくれていたことはたくさんありました。
走る以外の時間の使い方でその日の練習の効果や、レースへのパフォーマンスに影響するとか。
年齢を重ねても、自分の身体と向き合って、練習方法のアプローチを変えていくとかありましたね。
アスリートという職業人として、晴美さんの生き方、あり方はいい影響を与えてくれていました。
2006年の全日本実業団駅伝で優勝した時は、晴美さんがアンカーでゴールテープを切って優勝できたこと、喜んでいたのは私達、資生堂チームだけでなく、他のチームの選手やスタッフからも、「おめでとう。違うチームだけど、ほんと資生堂の優勝はうれしい。」と何人にも言っていただきました。
その時、晴美さんは私達後輩だけでなく、別のチームのスタッフや選手からもみんなが応援したくなるような、選手なんだなと感じました。
まとめ
今回の取材は、8月のロンドン世界選手権がある前の7月でした。
取材後、世界選手権をみる中、日本選手が本番で力が出し切れない姿をみて、今回の弘山晴美さんのお話は、2020年東京オリンピック、そしてそれ以降のアスリートの育成に非常に紐づく内容になると感じました。
6年間同じチームで活動させていただきましたが、その頃、私は20代でまだ競技者としては未熟な点が多かったと思います。
近くにいながらも、学べたことをすぐに実践出来たわけではなかったですが、自分がマラソンで世界と戦うとなった時に、晴美さんから学んだ練習と生活を線で結ぶということが実感出来たのです。
40歳まで現役を続けられ、一線で戦ってきたきた選手は晴美さん意外にはまだいないです。
ここまで長く競技を続けて、怪我が少なかったのも、練習も練習以外でも常に自分の行動が競技と結びいついていると意識していたからです。
私も、現役生活最後の2年間は怪我に泣かされましたが、晴美さんがおっしゃったような、「練習を休むという勇気」もレースで結果を出すためには必要なことたっだなと後で気付きました。
今の現役選手も、同じような状況にある選手もいるかと思います。
選手がなかなか言える状況がないのであれば、指導者がいいやすい雰囲気にしていく空気を作ることも必要だと私は思います。
これから、2020年東京五輪へ向けて選手の育成が進んでいくかと思いますので、今回の弘山晴美さんとの対談記事を、少しでも多くの指導者や選手に読んでいただけると幸いです。
【これまでのアスリート対談、関連記事】
オリンピック3大会連続出場弘山晴美に聞く、世界と戦うメンタルの鍛え方
私が苦しんだセカンドキャリア。引退後ってどうすればいいのか?対談:西田隆維さん
どうぞ、よろしくお願いいたします。