2022月02年03日
TOKYO2020、オリンピックマラソン選考会(Marathon Grand Championship 通称MGC)が先日開催されました。
非常に注目を浴びたレースだったので、ご覧になられた方も多かったでしょう。特に男子は最後までもつれる展開となり、非常に見応えのあるレースでした。
ドーハで開催された世界陸上では男子競歩50kmで鈴木雄介選手が独歩の優勝を飾りオリンピック内定を得るなど、次々と代表選手がどんどん決まっていきます。
そんな中、選考にまつわる水面下の苦悩や葛藤があることは私自身にも経験があるので、想像するにたやすく、痛みまで手に取るように感じます。
特にTOKYO2020は自国開催のオリンピックです。
特別感を持っている選手は多いでしょう。
私は良く「見応えのある種目は何ですか?」と聞かれるのですが、そう尋ねられた時に私は「男子3000m障害」と答えています。
皆さんは、3000m障害という競技をご存知でしょうか?
腰の高さほどある大障害(91.4cm)を35回飛び越え、35回の障害のうち7回は「水濠」と呼ばれる大きな水たまりも飛び越えなければいけない競技があることを。
1台の頑丈な大障害を選手が一斉に飛び越えていくので、選手同士の接触も多く、レース展開は目まぐるしく変わります。
転倒もあれば、大逆転もあります。単純な走力だけでは結果が決まらない種目ですし、この種目の魅力を語りだしたら止まりません(笑)。
そんな3000m障害に異色のランナーが挑戦しようとしています。彼の名は楠康成(くす やすなり)選手。
中距離を専門にし、元800m日本記録保持者横田真人さんの指導を受けていますが、オリンピックに出たい一心でこの特殊な種目に参戦しました。
3000m障害を始めて数ヶ月ながら、日本人選手の上位に名を連ねるようになり、東京オリンピックの有力候補選手の一人になっています。
今回はそんな楠選手がどんな思いでこの種目に挑戦し、オリンピックをどう見据えているのか、話を伺ってきました。
では、お楽しみ下さいませ。
楠 康成選手プロフィール
1993年 茨城県生まれ。
所属:東洋大牛久高校→小森コーポレーション→阿見アスリートクラブ
小学校から高校までの13年間、NPO法人阿見アスリートクラブで活動。
高校卒業後、2012年からは実業団チーム小森コーポレーションに所属。
1500mを中心に活躍。
2018年、6年間所属した小森コーポレーションを退社。
2018年1月より、阿見アスリートクラブトップ選手となり、2020年の東京オリンピックでは、3000mSCで代表を目指す。
2020東京オリンピックへ向けて
加納:いきなり、東京オリンピックの話聞いちゃいますね。
これまで、中距離の1500mを中心に競技をやってきて、オリンピックは3000m障害で目指すって話ですが、オリンピック1年前での種目変更はかなり思い切った決断だなと感じます。
そこに葛藤はなかったですか?
楠:葛藤はもちろんありましたよ。
ずっと1500mにこだわって競技を続けていましたし、そこで結果を残したいという思いは強かったので、この時期に種目を変更するのは逃げになるんじゃないかなって思ってました。
ダメだった種目を変更したなんて何だかかっこ悪いじゃないですか(笑)
加納:私もトラックにこだわっていた時期あるんで少しわかりますね。
楠:でも、実はこう見えて、小中学生の頃は80mハードルもやっていて、大会で上位入賞したこともあるんですね。
ジュニアの頃にやっていた種目って体が覚えているので、障害を飛ぶことに対しての抵抗感は全くなく、ずっと3000m障害に向いていると勧められてました。
ただ、頑固で真面目な性格なので、3000m障害に浮気することはなかったのですが、横田さんとは実はこのことについて度々話をしてたんです。
加納:そう思っていたのが、何をきっかけに変わったんですか?
楠:一番大きかったのは自分の考え方が変わったことだろうなって思ってます。
去年の冬からメンタルトレーニングはじめたのです。
加納:メンタルトレーニングですか?
楠:はい、そこで「目的から逆算する」という思考を大切にするようになりました。
僕はずっと「1500mで結果を残してオリンピックに出たい」と馬鹿正直に考えてました。
信念を曲げないが大事でそれがダメだったら、自分の力不足だと考えていたんですよね。
それが1500mに対しての強いこだわりを生んでいました。でも、「オリンピックに出るためには何をすればいいか?」と逆算した時に、自分の強みを考えるようになったんです。
たくさん自問自答した時に「あ、3000m障害!」って思ったんです。
加納:ハードルをやってきた強みが活かせる。
楠:はい。
長距離選手って同じ種目をやり続けている選手が多い中、自分はハードル種目をやってきた経験がある。
障害を超える技術を一から始めて3000m障害に挑戦する選手が多い中、僕にはかつてハードル競技をやっていたのはとても大きな強みになるんですよね。
長距離やっていた人がやるよりも、1500mで戦えるスピードを持続させた方が世界で勝負できるなと。
それに気づいたときに、自分が勝負すべき種目はここだ!って思ったんです。
加納:道を変えるって、時にこれまで歩んできた自分を否定しないといけないからオリンピックという明確なゴールから逆算が気づかせてくれたんですね。
楠:そうですね、本当に大きな変化だったと思います。
自他共に認める真面目人間なので、悪い意味で周りが見えていなかったと思います。
自分はどんな選手か?と改めて自分に問いかけた時に、自分が進むべき本当の道が分かってくるんだと思います。
今は、1500mに向けていた気持ちを3000m障害に100%注げるようになりました。
自分の中で目指すものがすごくはっきりしているので、「3000m障害でオリンピックを目指しています」って誰に聞かれても断言できますしね(笑)
加納:私は3000m障害、好きなのでものすごく楽しみです!
楠:ありがとうございます!
加納:ただ、3000m障害に種目を変えると決めた初戦(東日本実業団陸上)は、失格でしたよね。
そこから2戦目にあたるホクレンディスタンスで2000m障害(非オリンピック種目)に出て5分31秒82の日本最高記録。
浮き沈みの多いデビューになったように見えますが、どんな手応えを感じました?
楠:初戦の失格は全然気にしてません(笑)練習のつもりで走って、勢い余っての失格でなので、むしろ納得していました。
それよりもショックだったのは上記2戦の前にあった日本選手権の1500mです。
全力で挑んだ”元”専門種目は全然走れずに、結果は惨敗でした。自分がレースに向けてやってきたことが全然出し切れず呆然としてしまいました。
加納:そこからどう修正したんですか?
楠:ただただ思考を「やってきたことすべてを出す」とシンプルにしました。そうしたら、1500mでも結果がでて、2000m障害では日本最高記録が出たんです。
この種目はオリンピック種目ではないのですが、自信になりました。
次に必要なものが見えてきて、横田さんとやってきたことが間違いではなかったと、納得がいきました。
加納:結果を出すということはいろんな意味で大事ですね。
東京オリンピックに出るためには、国内の選考会で勝つだけではダメですよね。どんなプランで東京オリンピックを狙っていくんですか?
楠:東京オリンピックに出るためには、「世界ランキングで上位に入ること」と「参加標準記録を突破すること」が求められます。
世界ランキングの制度は非常に複雑で国内のレースでもランキングが思ったほど上がらないものもあるので、慎重にレースを選場なければいけません。
3000m障害のレース自体が少ないので、限られた機会で順位も記録も狙おうと思ってます。
大変ですが、1本1本しっかり集中して結果を出すというものなので、非常にシンプルです。やるしかないですね。
オリンピックに出る意味
加納:冒頭から、東京オリンピックに向けての話を聞かせてもらいたいんですが、楠くん自身にとってオリンピックに出る意味ってどう考えていますか?
楠:ちょっと前までは、オリンピックに出て何がやりたいの?って聞かれると、阿見アスリートクラブの子たちに憧れの選手になりたいと応えていました。
小さいころから自分が所属していたチームですし、自分が育ったチームなので、ジュニアの子たちに夢を与えたいなっていうモチベーションです。
でも、この1年いろいろチャレンジしてきたことで、良い意味で自分の視点が強くなって具体的に考えられるようになりました。
加納:自分の視点とはどんな感じですか?
楠:オリンピックに出たら僕はどうなるのか。
ジュニアの選手たちが「自分のチームにはこんなすごい選手がいる」という風に思ってもらうことが自分はどんな気持ちなのかとか。
そんな一流選手の自分が身近な存在として一緒に走ったり他愛もない話をしたりすることで、子ども達も「自分もオリンピックを目指したい!」という気持ちが出てくるとしたら自分はどう感じるのかとか。
日本は学校単位でのスポーツが一般的なので、中学、高校、大学とステージが上がるたびに環境が変わって伸び悩む選手はたくさんいますが、チームが大きくなって、阿見アスリートクラブというチームの中で環境を変えることなく競技を続けることができるようにしたいんですよね。
加納:ヨーロッパのサッカークラブチームとかではそれが当たり前と言いますよね。日本の陸上クラブでもそれができたら素敵ですね。阿見には可能性感じますね。
楠:その状態をつくる道に「自分がオリンピックに出る」というプロセスがあり、そのために何をしなくてはいけないのかっていうのが「つながり」として見えてくるようになったってことですね。
加納:確かに「オリンピックを走りたい」と点で見ている選手は多いですし、私自身も現役時代は「競技で結果を残す」というところまでしか考えられていなくて、自分が活躍することで世の中にどんな影響を与えられるかまで自分視点では鮮明に描けていなかったですね。
楠:横田さんや周りの素晴らしい方のおかげだと思っています。
加納:せっかくなので、阿見アスリートクラブってどんなクラブか少し紹介してもらってもいいですか?
楠:阿見アスリートクラブは、もともと兄と兄の友人と僕と父だけのかけっこ特訓から始まったんです。
加納:かけっこ特訓!!
楠:そうです。
校内の持久走大会でどうしても、兄の友人が速く走りたくて、もともと実業団で長距離をやっていた父に「一緒に練習してほしい!」とせがんだんです。
父は一生懸命走り方を教えてくれました。
そのうち、その特訓が友人たちの中で噂になり、徐々に規模が大きくなってきて、「スポーツ少年団アスレッコクラブ」として「阿見アスリートクラブ」の原型が誕生しました。
加納:なんだか素敵なお話ですね。親子の夢が詰まった特訓が原点にあるなんて、珍しいケースだと思うのですが、すごく憧れますね。
楠:本当に恵まれていたと思いますが、だからこそチームに対する僕の想いも強いんだと思います。
阿見アスリートクラブに発展進化していったのは2007年でした。今では色んな世代の選手が集まり、走っています。
かけっこを楽しむ子供、陸上競技選手としての活躍を夢見る中高生、トップアスリートとして日本のトップで活躍する一流アスリート、そして、生涯スポーツとして健康と生きがいを作る大人などなど、みんなが集まっています。
僕はこのクラブの中で育ててもらい、今があるのでなんとか恩返しがしたいんですよね。
何度か無茶をお願いしたこともあるのですが、それでも父やクラブのみんなが支えてくれました。
加納:無茶なお願い?なんだかそういう話は興味ありますね(笑)
楠:さすが、加納さん、突っ込みますねー(苦笑)!
でも、正直に包み隠さず話すと、一度、阿見アスリートクラブを離れたことがあるんです。
高校を卒業してから小森コーポレーションという実業団チームに所属することが決まったので、初めて練習拠点が変わりました。
加納:大学ではなく実業団に進んだのは何故ですか?
楠:僕は駅伝よりトラックで勝負したかったので、実業団の方が「短い距離から・・」って話がわかってもらえそうで、自分に競技者としての考えにあっていると思いました。
加納:トラックにこだわりたい気持ちって私も共感しますね。実業団の競技生活はどうでしたか?
楠:新しい世界も刺激にあふれていて、本当に色んな経験ができたと思っています。
ただ、実業団3年目を過ぎたあたりから記録が伸び悩んできたんですよね。
ちょうどその時期は、リオオリンピックが控えていたので、1500mでオリンピック出場を狙っていました。
ただ、口では「オリンピック狙います」って言っているくせに、結果が伴わないし、内心「オリンピックは遠いな」と思っちゃっているような状態で、「何が何でも結果を出す!」という姿勢にまでなれていなくて、モヤモヤしてたんです。
そこで、思い切って環境を変えようと思い、父に「実業団辞めるから、阿見アスリートクラブで引き取ってほしい」といきなり伝えました。
加納:それはお父様も相当びっくりしたでしょうね。
私もセカンドウインドというクラブチーム所属でオリンピックを目指していたので、選手一人を養うのに相当な活動費がかかるのはよーーーく知ってますよ(笑)。
楠:その時は、僕1人が1年にかかる生活費や活動費がどれだけ必要とか、よく分かってなくて、勢いで思いをぶつけてしまいました。
父も驚いたでしょうね。
でも、受け止めてくれました。
そして、「いきなりすぐは無理だから、もう1年実業団で頑張れ」と言ってくれました。
自分としてはすぐにでも環境を変えたかったし、海外に行って環境を変えたいとも思っていたので、会社にもそういう相談をしていたんです。
相当な無茶だなと今ならよくわかりますが、父も会社も僕のわがままを叶えてくれました。
父は水面下で僕が阿見アスリートクラブ所属で競技が続けられるように1年間かけてスポンサーを探してくれましたし、小森コーポレーションは実業団所属のまま個人で海外のチームに合流することを許してくれました。
感謝という言葉では言い尽くせないほど感謝です。
加納:これは楠くんの人徳というか、普通ここまでわがままを聞いてくれませんよ(笑)。
楠:振り返ってみると、自分が今こうして競技ができているのはたくさんの人の想いがあるからなんです。
感謝しても感謝しきれないくらい与えてもらっています。
だからこそ、そんな自分ができる最大の恩返しはやっぱりオリンピックに出ること。それが自分のオリンピックに対しての大きなモチベーションですね。
加納:その感謝を伝えるためにも、両親や阿見アスリートクラブの子たちなど応援し支えてくれた方々にオリンピックをプレゼントしないとですね。
横田真人コーチの指導を受けて
加納:実業団の小森コーポレーションの所属を経て、阿見アスリートに所属しながら、2018年の1月から元800m日本記録保持者で横田くんの指導を受けているんですよね。
どういう経緯で彼の指導を受けるようになったんですか?
現役時代の横田コーチとのレース
楠:横田さんに出会ったのは、まだ小森コーポレーションに所属していた頃です。
中距離合宿に来てくださったんですけど、そこで、横田さんが講演をしてくれました。
すごい人がいるなと思いながら前のめりで話を聞いていました。横田さんに指導してもらいたいと思ったのはこの時が最初です。
加納:横田君とはその時何かお話したんですか?
楠:質疑応答の時に、「指導者と練習相手、どちらが大事ですか?」って聞きました。
結構具体的な話でしたが、横田さんは迷わず「練習パートナー」って答えたんです。
ちょうど伸び悩んでモヤモヤしていた時期だったので、ズバッと答えを持っている横田さんがすごいなと思いました。
加納:今でも、たまにTwitterに上がってきますが、一緒に走ってますよね。
楠:そうなんですよ。
横田さんは引退して3年も経っているのに、全然衰えていません。
日本記録を狙うレースでペースメーカーをやるくらいなので、時々現役選手なんじゃないかと思うくらいです。
「練習パートナーが大事」と言っていた言葉通り、横田さんは本当に大事な練習はガチッと引っ張ってくれます。こんなことできるの横田さんくらいでしょうね。
そんな横田さんとは、実業団に所属しながらアメリカに行っていた時期に再び会う機会がありました。
横田さんが現地まで来れて、そこで練習の様子も見てくれたご縁で、帰国後も指導を受けられることになりました。
加納:人の縁って不思議ですね。私も指導者には恵まれたと思っていますが、そう言った点で楠くんも指導者に恵まれたんですね。
横田君の指導を受けるようになってから、何か具体的に変わったことってありますか?
楠:色んなことが変わりましたが、やっぱりメンタルの変化がとても大きかったです。
横田さんと話をする中でただ指導を受けるだけじゃなくて、「自分は何がやりたくて、何が必要なのか、そのために何をするべきで何をしないべきなのか」をちゃんと自分自身でも考えなくちゃいけないって思うようになったんです。
加納:私も現役時代に迷った時に、ビジネス書と自己啓発本を読みあさっていた時期がありましたね。
私の場合は怪我をしていた時期でしたが、自分の世界が広がった気がしています。
楠:そうなんですね!
僕の場合はメンタルトレーニングなんですが、自分に向き合うことが多くなったという意味では、求めているものは同じなのかもしれません。
実業団に所属していた頃はお給料をもらって走る生活でしたし、監督やコーチに支払うお金も基本的に会社が出してくれていました。
お金のことも心配する必要なんてありません。
でも今は違います。
横田さんにコーチ料を支払って指導してもらっているという状況であり、逆にクラブの子どもたちに走ることを教えるときはお金をもらってその指導するという関係に逆転します。
お金の流れもよくわかるようになりましたし、自分の行動に対しての責任感は比べ物にならないくらい上がりましたね。
加納:楠君自身が、実業団、クラブチーム、海外のチームなど、いろんなものを見て今に至っているからこその経験だと思いますが、26歳でそれに気づけるのは、すごいですね。
横田コーチの影響は大きいですね。
楠:横田さんは本当に自分にないものを持っているんです。
例えば、誰かに何か相談を持ちかけられた時、5分で伝えられるような内容であっても、僕の場合、うまく伝えられなくて60分かかったりしてしまうんです。
加納:それは長い。
けど、私もそうだからわかります(苦笑)。
楠:でも、横田さんの場合は、その人が求めていることだけを端的にまとめて30秒で伝えちゃう。
ズバって。すごい能力ですよね。
横田さんは自分にないものをたくさん持っているので、そこを知って、吸収したいなとも思っています。
加納:横田君の能力の高さと人柄が出てますね。
楠:練習もそうですが、自分がやりたいことを真剣に向き合ってくれて、時間も作ってくれる。
考え方に芯があるんですけど、押し付けるわけでもない。
横田さんみたいな人って、今の陸上界の中ではほとんどいないと思っています。
僕って誰にでも信頼されやすくて、100人いたら100人とも同じように付き合うみたいな。
横田さんは、信頼される人だけに信頼されていればいい。
人との距離感がうまい。自分が必要とされている人への出し方がうまいんです。
加納:それ、めっちゃわかります。
楠:あと、横田さんは、選択肢も価値観も沢山持っていますが、こちらが聞いたり求めたりしない限り自分から出してくれることはありません。
相談したことに対して一つの答えを押し付けるわけではなく、選択肢としていくつかの考えをさりげなく示してくれるので、最終的には自分で気づいて、自分で考えて、自分で決めるので、それが自分自身の責任にもつながっていくんです。
加納:私も選手の時、指導者からたくさん言葉をもらいましたが、教えられたこと以上に、気づいたことの方が大事なんだなって振り返って思いますね。
楠:自分の人生を振り返ってみて、親、阿見アスリートクラブ、小森コポレーション、そして横田さんとつながりの中で今があるとすごく実感しています。
今日の加納さんとの対談も、自分の中の自分を再認識する上でとてもいい時間になりましたよ。
加納:どこまでも謙虚ですね(笑)横田君もそうですが、楠くんも魅力的ですよ。
楠:ありがとうございます。東京オリンピックまで1年を切りましたが、できることをしっかり確実にやっていきたいと思います。
加納:本当に応援しています。
ぜひ悔いのない競技生活になるように思う存分挑戦してください!今日はありがとうございました。
楠:こちらこそ、ありがとうございました。
横田真人コーチから楠選手へ
今までの彼は、なんとなく良いと言われるものに取り組み、その点の数を増やしてきたように見えました。
けれど、その点が繋がらず、練習は良いけど試合では走れない時期が続きました。
うちのチームに来て取り組んだのは、新しい練習をするわけではなく、自分が人生をかけて走ることの意味を明確にし、1本1本の走りに意図を込めて走り、それを試合で表現する。
取り組んできた点と点を繋ぐ思考力を得る作業だと思っています。
言葉で書くと簡単な作業ですが、人の思考を変える作業は容易なことではありません。
それを可能にしたのは、何よりも本人の意志と努力だと思います。
そんなアスリートと共に、オリンピックの舞台に立つのが楽しみです。
インタビューを振り返って
今回、楠選手のお話を聞かせてもらい、彼の生い立ちや東京オリンピックに向けての想いを聞くことができました。強い想いと決意が印象的でしたが、私が思った彼の魅力と強みをまとめてみました。
①変化を恐れない
人間は誰しも、これまでやってきたことからの変わることは大変なことです。
時と場合によっては、自分から変化したり、違う環境に飛び込まなくてはいけないこともありますが、楠選手はそれを全く恐れない選手だなと感じました。
チームを変えたり、環境を変えたりするたびに必ずどこかで逆風は吹きますが、それにもめげない意志の強さは彼の大きな強みだと感じました。
②コーチとの信頼関係
コーチとの信頼関係は、競技をする中では練習と同じくらい大事なことだと私は思っています。私自身もコーチと思いが一致した時に、結果が出ていました。
楠選手は現在、横田コーチのもとで、密なコミュニケーションをとりながら競技に励んでいます。
ただし、「これをやりなさい」「やります」と言った関係ではなく、目標達成へ向けて考えさせる関係はとても興味深かったですし、彼の強みだなとも感じました。
③自分で責任を持つ
競技をする上でも、ビジネスをする上でも、自分のやっていることに責任を持たないとそこに思い切って向かえないですよね。
クラブチームに所属し、自分でコーチを選び、厳しい環境のなかで競技に励む楠選手には、大きな責任を背負いながら走っています。
26歳にして実業団とクラブチームの両方を経験したからこそ今があるのかもしれません。
これまでは引退後の元選手にインタビューしてきましたが、今回は現役の若い選手に話を聞きました。
現在進行形で続くストーリーは若さゆえの思い切りの良さや、たくさんの可能性を強く感じます。
オリンピックに出るということは、想像を絶するほど過酷なものです。
振り返ればその中で得た経験は今の私の大事な財産になっていますが、出られなかったという悔いはやっぱりあるので彼には夢を掴んで欲しいなと思わずにいられません。
自国開催のオリンピックはもうすぐそこまできてます。楠康成選手にぜひ注目してみてください!!