2024月03年06日
2016年3月26日、ウィルフォワード社主催の講演イベント「Feel the Excitement!」が行われました。そこで私はプレゼンテーターとして「マラソンが私に教えてくれた新しい自分」と題した10分間の講演を行わせていただきました。当日、参加できなかった方もいらっしゃいますし、私の成長の記録としても、その内容(原稿を一部修正)全文を掲載いたします。
マラソンが私に教えてくれた新しい自分
加納由理自己紹介
加納由理です。私は元マラソン日本代表です。マラソン自己ベストは2時間24分27秒で、2009年のベルリン世界選手権では7位に入賞しました。
今はランニングを通して取り組んできたことを活かして、ブログやSNSでの情報発信、企業でのランニング研修、企業のプロモーションなどに挑戦しています。
無愛想の加納由理
先月、東京マラソンを走りましたが、その時に元祖山の神と言われた今井選手に「最近、色んな面で活躍されていますね」と言ってもらったり、陸上界では有名なライターの寺田さんには「加納由理の変貌ぶりに陸上界が驚いていますよ」と言ってもらいました。知り合いからは「最近、ブログでよく笑ってるけど、何かいいことあったの?」と、言われたりしました。
なぜなら、私は現役時代は笑わない。「 無愛想」が代名詞の加納由理でした。 記者の質問にもまともに答えれず、「記者泣かせ」とも言われました。
でも、それは最初からそうだったわけではなく、結果が求められるシビアな競技生活の中で笑う余裕がなくなり、自分では笑っているつもりでも顔が引きつっていて、いつしか笑うことが上手にできなくなったのです。
加納由理の競技引退
「したい」から「ねばならない」
私は子供の頃からかけっこが大好きで、気づいたら陸上競技の魅力にのめり込んでいきました。 頑張って走れば走るほど、記録が伸びて本当に楽しかったです。
だけど、自分の戦う舞台が高くなればなるほど、「結果を出さなくてはいけない」、「練習でも負けてはいけない」、「食事制限しなくてはいけない」、自由な時間もマラソンが頭から離れない。と、誰からもそうしろとも言われていないのに、自分でそう思っていてしまい、自分で自分を苦しめていました。
気付いた頃には、好きで始めた陸上競技が、自分はそうでなくてはならないに変わっていました。 結果が出せている時はそれでも構わなかったのですが、長年競技を続けていくと色んな所に負担が出てきます。
一度、怪我で歯車が狂うとそれを取り戻すのは、簡単なことではありません。なぜなら、その時の自分の状況をそのまま受け入れることが出来ず、良かった時の自分を追いかけ比べてしまうからです。
選手としての価値がない
良かった時の自分を追いかけてしまった結果、身体に負担がかかり思い通りに走れないパターンに陥ってしまう。「 結果が残せない=選手としては存在価値がない」 と私は思ってしまい、2014年5月に実業団選手を引退しました。
それでも、マラソンが頭から離れることはありませんでしたし、走ることが好きなことには変わりありません。引退後もしばらくは身体の不調が続き、ジョギング程度の練習しかしていないのに半年間で2回の疲労骨折をしてしまいました。
私のやってきたことに価値はない
マラソン大会のゲストランナーで呼んでもらっている大会のスタートラインにも立てず、 「もう二度とマラソンを走ることが出来ない身体になってしまったのか」、「 22年間、いろんなことを犠牲にしてきた競技生活には価値がなかったのだろうか?」と思ってしまう自分がいました。
何を頑張って良いのかわからず、今までの自分の歩んできた道を自分で責めてしまう時もありました。 本当に落ち込んだのですが、「このままでは終われない」と思う自分もいました。
加納由理の転機
西田隆維さん
そこで、私は15年来のマラソン仲間で元日本代表マラソン選手の西田隆維さんを頼りました。 西田さんは色んな方面で活躍されているし人をバカにすることは絶対にないし、私に何か良いアドバイスをくれるだろうと思ったからです。
西田さんには「加納は色んなこと経験した方がいいと思うから、なるちゃんの所へ行こう」と言われました。なるちゃんとはウィルフォワード代表の成瀬さんのことです。
ウィルフォワードとの出会い
西田さんに連れてこられたのが目黒にある一軒家のオフィス、ウィルフォワードでした。 そこで、初めて成瀬さんと会いました。 成瀬さんからは「自分がこれからどうなりたいのかをゆっくり考え、そのためにも色んなことに触れて見るのもいいですよ」とアドバイスをくれました。
大阪マラソンでの気付き
そんな中、私は10月に大阪マラソンにゲストランナーとして走る機会がありました。練習不足は明らかでしたが、3年半振りにどこも痛いところがない状態でフルマラソンのスタートラインに立つことができました。
レースがスタートしてからは、嬉しさのあまり最初はオーバーペースで、30km過ぎたあたりからは脚がどんどん重くなって、前に進まなくなりましたが、そのきつさすら楽しかったのです。走り終えての感想は「本当に楽しかった」でした。
私は「走るのが好きだったんだ」ということを思い出しました。 アスリートの中には私と同じように競技を真剣に取り組んできた故に、次の道が見い出せず苦しんでいるアスリートがたくさんいると思います。
加納由理の挑戦
セカンドキャリアのモデル
私は、その人たちためにもアスリートセカンドキャリアの参考になるような生き方をしたい思っています。 そのため、今までのことを整理するためにもブログを書いたり、新しいことにも挑戦しました。
新潟の十日町市で行われたビジネスコンテストでマラソン大会の提案をしてもたり、企業でのランニング研修にも挑戦しました。 自分には無理と思っていた事も、周りの協力の中で乗り越えられた事によって、新しい自分に出会うことも出来ました。
最初は、ブログの文面を書くのも苦手でしたし、自分が人前で何分間も話すなんてこのようなきっかけが無かったら、苦手なことに一歩踏み出す勇気はなかったと思います。
私はマラソンランナー
まだまだ出来ないことはたくさんあるし、失敗することもたくさんあると思います。 でも、今は失敗して笑われてもいいと思っています。 私は、これからもコツコツと努力し続けるだけです。 私はマラソン選手です。そして、最後は笑顔でゴール出来るように頑張っていきます。