魂のランナー宇賀地強の引退後初めて語るロングインタビュー!夢と苦悩が作った競技人生 ブログ | 加納由理オフィシャルサイト

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パンダブログ

2019年5月15日

魂のランナー宇賀地強の引退後初めて語るロングインタビュー!夢と苦悩が作った競技人生

陸上競技の長距離選手を形容する時に「速い選手」と呼ばれる選手がいます。
持ちタイムが速い選手です。

また、強い選手と呼ばれる選手がいます。
文字通り勝負どころで勝ち負けになると強い選手です。

そして、「印象深い選手」と呼ばれる選手がいます。

アスリート対談第6弾の 今回は「宇賀地強(うがちつよし)さん」。

まさに印象深い選手と言えるのではないでしょうか。

駒澤大学時代は1年生から4年生までの4年間各大学のエースがしのぎを削るエース区間の2区を担当。
大学卒業後はコニカミノルタに入社し、 ニューイヤー駅伝、トラック、マラソンで活躍。

2013年のモスクワ世界選手権では、10,000mで代表になっています。

もちろん、超一流の実績であることは異論ないのですが、それ以上に彼を形容するには、164cmの小柄な身体でグイグイと切り裂くように走る魂のランナーのイメージ。

その走りに魅了された、ファンの方も多いはずです。

中学から社会人まで、数々の大会で活躍し、多くの方の心に残る走りをしてくれた宇賀地さんが、今年3月に選手活動に区切りをつけ、4月よりプレイングコーチへ就任。

今回の対談では「1つの夢に向かう思い」、「目標達成するための強い信念」、そして、宇賀地さんの「陸上競技を通しての人間性」が見えてきました。

これから上を目指すアスリート、そしてアスリートを育てる指導者、宇賀地さんのファンの方にも読み応えのある文面になっています。

どうぞ、じっくりとお楽しみくださいませ!

宇賀地強さんプロフィール


(写真:(C)Kenta.Onoguchi)

1987年栃木県生まれ。

中学時代から陸上競技を始めて、3年時にジュニアオリンピック3,000mで全国優勝。
作新高校時代には世界クロスカントリー選手権で初の日本代表となる。

駒澤大学に進学し、1年生から4年連続2区を担当。
2年時の2008年大会は往路優勝に貢献し、総合優勝を果たす。

卒業後は、コニカミノルタへ入社し、トラック・駅伝・マラソンで活躍し、2013年のモスクワ世界選手権に10,000mで出場し、27分50秒79で15位。

今年2019年3月で選手活動に区切りをつけ、4月からはコニカミノルタ陸上競技部のプレイングコーチに就任。

箱根駅伝

加納:宇賀地くん、ん、宇賀地さん、くん?さん?

宇賀地:あ、いつも通りでいいです。

加納:じゃあ、宇賀地くんで笑

宇賀地:はい、何か、知り合いにインタビューされるの初めてなんで緊張しますね。

加納:いやいや、陸上界の人気者、宇賀地選手をインタビューする私の方が緊張しますよ。

宇賀地:これまでのも読みました。ああやって記事書けるの凄いですよ。

加納:最初はめっちゃ時間かかっていたけどね。今回はスーパースターなんでちゃんと記事にしないとですね。

宇賀地:楽しみです!

加納:中学時代にジュニアオリンピック優勝。
高校時代にも日の丸を付けて世界クロカン出場。駒澤大学に進学し箱根駅伝で活躍。

卒業後はコニカミノルタに入社して、トラック・駅伝で活躍し、2013年のモスクワ世界陸上では10,000mの日本代表。
世界を相手に積極的な走りをして27分50秒で走り15位。

マラソンでもファンを熱くさせる走りで陸上界を盛り上げ続けてきたわけですが、今の心境はどうですか?

てか、引退したんですか?まだ、現役続行中?

宇賀地:まわりは気をつかって引退という言葉は使わないでくれていますが、正直引退して一線を退いた気持ちでいますね。

今はコーチとしてコニカミノルタを駅伝優勝に導くことと、世界で勝負する選手を育てるために自分は何ができるかの一点ですね。

加納:なるほど。じゃあ、色んな心境の変化を聞けそうですね。
これまでの競技生活を振り返って、自分の陸上競技人生の転機と言えば何が思い浮かびます?

宇賀地:箱根駅伝ですね。

加納:箱根駅伝を目指して走り出した的な?

宇賀地:走りだした時は箱根駅伝を知らなかったですね。

部活に入らなきゃいけないので、個人競技にしようと思って、柔道とか剣道とか弓道とか、何か痛そうだなと思って、陸上競技にたどり着いたんですよね。

加納:やはり、最初から速かった?

宇賀地:全然。中学1年生で入部した時の800mのタイムトライアルが3分近くかかって、女子に負けましたからね。

加納:そりゃ、確かに小学生の私の方が速いわ笑

宇賀地:だから中学2年生くらいまでは、陸上競技をこんなに続けると思っていなかったんです。勉強もしっかりやって、それなりに良い成績とって、将来は普通に働くと思っていたんです。

そんな中、たまたま見た箱根駅伝で衝撃が走ったんですよ。
大学1年生が先頭を走っているんです。ずっとテレビに映ってるんです。

当時の僕らが3,000mを全力で走るより速いタイムで走っていてめちゃくちゃ憧れました。

それが、駒澤大学の1年生だった佐藤慎悟さんだったんです。
テロップには栃木県作新高校卒と出ている。

その時、駒澤大学が優勝するのを観て、僕も駒澤大学で箱根駅伝に出場して優勝したいと思いました。

加納:実際に作新高校、駒澤大学と進学したんだから、箱根駅伝の影響は凄いですね。
そこから記録がぐんぐん伸びだした?中学3年生のときにジュニアオリンピックに優勝していますよね。
全国大会を意識し出した時期はいつから?

宇賀地:ですかね。中学2年の終わりで3,000mで9分35秒だから普通の選手ですよね。
それが中学3年の4月で9分ジャストで走れたんです。

全日本中学陸上(全中)では空気に飲まれて全くの凡走だったんですが、ジュニアオリンピックでは優勝を信じて走って優勝できたので、ずいぶん伸びましたね。

加納:うん、伸び過ぎですね。ちなみに全中からジュニアオリンピックと何でそんなに気持ちが変わったんですか?

宇賀地:県内に佐藤直樹君という同じくらい速い選手がいて、彼といつも競っていたのですよね。彼と僕がランキングで1位と2位だったんです。

だから、ちゃんと走れば勝てるなと。実際、佐藤くんとワンツーフィニッシュでしたから。

僕は天才ではないので、地道に努力して、自信をしっかり付けて走りたいと思っていたので、全中の時はまだその自信がもててなかったんですね。

加納:まぁ、客観的に見ると天才ですけど・・。ちなみに、私は全国大会は、全部予選落ちでしたし。

宇賀地:駒澤大学に入るのに成績を残さないといけないのでそこは必死に笑

加納:憧れの駒澤大学に入ってからはどうでしたか?


駒澤大学時代の同期と

宇賀地:高校時代はかなり自由にやらせてもらっていたので、全然違って、1年生の頃は戸惑いもありました。

加納:でも、駒澤大学が結構厳しいってのは、ある程度わかって行ってますよね?

宇賀地:実は全然知らなくて笑。
というか、僕としては気にしてなかったんですよね。とにかく駒澤大学のユニフォームで箱根を走って優勝したかったんです。

加納:宇賀地少年の意志は強かったですね。

宇賀地:とにかく、憧れしかなかったです。
事前に練習も見に行ってないですし、大学にも入試の日に初めて行きました。

加納:じゃあ、練習メニューとかは最初からぴったり合っていたってこと?

宇賀地:最初は全然わからなくて、文句言ってたんですけど、だんだん分かってくるようになってきましたね。
練習メニューの意図をちゃんと考えるようになった感じですかね。

駒澤大学ってデータ重視なところがあって、これまでの先輩たちの練習メニューとか記録が全部残っているんです。

なので、過去に箱根優勝した時のとか1年生が活躍した時のとかそれを見て今の自分の位置はどのあたりなのかなとか。
監督に言われたことをやりながらも自分で考えるようになっていった感じです。

加納:大八木さんに言われた印象深いことは何がありますか?


大学4年間箱根駅伝では、2区のエース区間を走り、2年時には総合優勝(写真:Sekine Takashi)

宇賀地:僕は箱根走って優勝するのが目標だったんです。
箱根が全てみたいな。

でも、監督はそうじゃなくて、事ある度に「ここが終わりじゃねえぞ、世界を目指せるぞ」って刷り込むように言ってくれたんですよね。

最初は「何言ってんだ?」って思ったのが、徐々に「ふーん、世界か・・」って思うようになって、それが「そうか世界を目指すのか」って思うようになれたので。

加納:尊敬する人の言葉は大きいですね。

宇賀地:大学の時はめちゃくちゃ走っていて、これ以上やったら死んじゃうよって思ったこともあったんですけど、実は大八木監督は余力を残してくれていたんですよね。

だから、社会人になってからもう一度徹底的に鍛え上げるのに自分を追い込み続けることができた。監督はずっと先を見てくれていたんだなって引退後にも思いました。

加納:壮絶な練習だったんだろうなと思います。でも、大きい怪我はしなかったんですか?

宇賀地:ほぼしていないです。

加納:それが凄い。

宇賀地:丈夫に産んでくれた両親と、これまでの指導者たちに怪我しにくい自分の走りを尊重してくれたおかげですね。

箱根から世界へ

加納:大学4年間、箱根駅伝で優勝することだけを思ってやってきて、卒業後にコニカミノルタに行こうと思ったのはなぜですか?

宇賀地:まだ世界を目指すって強い信念みたいなものはなかったんですが、先に進む以上はもっと強くなりたいってのはありましたし、なれるとも思っていたんです。

当時のコニカミノルタには松宮隆行さんって人が日本選手権3連覇していたし、5,000mの日本記録も作っていて、駅伝も勝っているチームだったので、強いチームにいけば、きっと世界にいけるノウハウがあるだろうと思いました。

あとは漠然とトラックで活躍したいという思いもありましたね。


(写真:(C)Kenta.Onoguchi)

加納:その時は、まだマラソンは考えていなかったですか?

宇賀地:まだ、考えていなかったですね。

加納:そうすると、その時点の目標は、トラックで日本選手権優勝とニューイヤー駅伝で区間賞とって優勝。
結果的に、世界選手権とオリンピック路線に乗りたいみたいな感じですかね。

宇賀地:堅実って言われるかもしれないですが、一歩一歩登っていく感覚なので、ようやくそのあたりから、世界を意識するようになってきたって感じで、一つ一つ上のカテゴリーを目指してきた感じですね。

加納:目標がアップデートされていく感じですね 。オリンピックを目指すようになったのは?

宇賀地:なかなかオリンピックは遠すぎて、憧れることもできなかったんですよね。オリンピック出る人って、ぶっ飛んでないとダメって感じで。

加納:ぶっ飛んでる?

宇賀地:頭のネジがぶっ飛んでいる人なんです。僕の同学年でいうと、800mの横田、400mの金丸、10,000mの新谷とかですね。

加納:


大学4年のユニバーシアード。一緒に写っているのは、800m代表の横田真人さん。

宇賀地:目標や目的達成のためにはやるべき事以外の一切の余計な雑音を入れないみたいな。
普通「これやったらどう思われるんだろうか」とか考えて躊躇しちゃうようなことを遠慮なくやれる。

僕だったらこれはチームのことを考えるとやらない方が良いなって踏みとどまっちゃうところをガンガンいけちゃう。

今、思うと、結果を出すために遠慮はいらなかったなと思ってます。結果求めるなら、結果を出すことだけに集中すれば良かったなと。

そう考えると、ぶっ飛んでいる人の方が強いなって思いましたね。

加納:すごく共感しますね。

チームに所属している以上、自分のことを優先して行動出来ない、自分中心で行動するのを認めてもらうなら、それだけの行動と結果が必要みたいな。そのあたりは、私も現役最後の2年くらいは苦しみましたよ。

でも、今振り返ると、何でそんなことに悩んでたんだろうって思いましたね。

宇賀地:僕は特にそういう思いが強かったんでしょうね。

加納:この経験はこれからに生きますね。
実業団に進んでからの選手としての転機はありましたか?

宇賀地:社会人1年目に駒澤大学で同級生だった高林君(トヨタ自動車)と深津君(旭化成)が27分台で走ったんですよね。

「あ、自分も狙えるな」って自分のモチベーションが引き上げられました。

僕は良くも悪くもやってきたことで自信を培うタイプなので、同じ道を歩んできた仲間が結果を出してくれたのは大きな自信になりました。

だから、オリンピックや世界選手権がリアルに見えてきたのも仲間の存在が大きいですね。

加納:確かに一緒にやっている人、近い人が結果を出したら、自分も出来るぞって思いますよね。

宇賀地:僕は自分でイメージする力は弱いのかもしれないですが、近い人間とか身近な人が示してくれると途端に描きやすいんですよね。

なので、コニカミノルタは最高の環境でしたね。日本のトップ選手が身近にいて、それでいて強制感はなく、個人を尊重してくれるので、やりやすかったです。

加納:コニカミノルタって結構、ガチガチのチームなイメージだったけど、そうではない?

宇賀地:たまにそう言われるんですけど、何でですかね?
かなり、自由度高かったですけどね。

まぁ、それで僕は練習で追い込みすぎたってのはありますが、松宮さんは走りの感覚は凄い大事にしていて、練習量は腹八分って感じでしたね。

僕は磯松監督に「自己満で練習するな。もっとメリハリをつけろ」ってアドバイスもらってましたけどね。

当時はわからなくて、今ならわかりますね。

世界を経てマラソンへ

加納:宇賀地くんは体験主義だから、自分でやってみて自信をつけていくタイプだったからでしょうね。
マラソンにいこうと思ったのはいつ頃ですか?

宇賀地:練習の流れでいうと2012年の冬くらいから、すごい良い練習が詰めていたんです。
レベルの高いことができていたし、世界を意識したトレーニングができていましたね。

加納:2013年のモスクワ世界陸上の頃ですかね。

宇賀地:はい。自分の中では完璧な練習が出来て、モスクワ世界陸上の10,000mは唯一練習とレースが全部リンクした会心のレースだったんです。

それでも15位かって、世界の壁を感じました。

一方、マラソンでは中本さんが6位で、女子マラソンでは福士さんは銅メダル。世界で勝負するならやはりマラソンだって思いました。

加納:トラックで果敢に攻める走りは、レースで勝てなくともめちゃくちゃファンを魅了していて、なんか応援してしまうみたいな印象を与えていましたね。

勝負の世界なので、そんなこと言ってたら甘いと言われてしまいそうですが。

宇賀地:ありがとうございます。 それしかできないんで笑

加納:じゃあ、そこからマラソンへ?

宇賀地:2014年のドバイマラソンは、世界選手権出ようが出まいが走ろうって決めていたんですけど、世界選手権でより一層気持ちが固まりましたね。

「よし、マラソンをメインでやろう」って。

加納:トラック、駅伝でしっかり地盤固めて、マラソン挑戦って感じですね。
私もその流れだったので共感します。初マラソンにドバイを選んだのには、何か理由があったんですか?


ニューイヤー駅伝は、2013.2014年に優勝(写真:(C)Kenta.Onoguchi)

宇賀地:最初から記録が欲しかったんです。

ドバイマラソンのコースは平坦で、エチオピアの選手もたくさん走るんで、速いレースの流れに乗りたかったんです。

あと、日本のトップ選手も走ったことがなかったですからね。たとえ失敗しても比較対象にならないから、失敗を恐れずにやれるなって。

加納:宇賀地選手の初マラソンは注目されますから、確かに海外レースの方が周りを気にせずチャレンジ出来るかもですね。

宇賀地:1月のニューイヤー駅伝終わってから、2週間ケニアで合宿して、マラソン直前にケニアからドバイに直接入りました。

加納:えっ?ケニアって高地ですよね?高地から直接?

宇賀地:初マラソンだからこそ出来る無茶な取り組をしてみたかったんです。

加納:結果はどうでしたか?

宇賀地:2時間13分41秒ですね。最初から1km2分50秒(5km14分10秒設定)のレースを走ったので、凄い経験にはなりました。

加納:むしろ1km2分50秒で突っ込んで、よく初マラソン2時間13分台でゴールしましたね。

私の初マラソンとは真逆ですね。 私は、2回目以降のマラソンが怖くならないよう、着実にイーブンでラップを刻んでいくレースだったんで。

宇賀地:怖いもの知らずですね。

ケニアの標高2,200mのところからいきなり下りてきてしてしまったので、身体もふわふわしちゃって、平地への対応がうまく出来なかったですね。

加納:直前ってどのくらい前に下りてきたんですか?

宇賀地:4日前です。

加納:それは無茶ですね。

宇賀地:僕の想定では、いけるはずだったんです。 ちゃんと走れれば、2時間10分は切れたかなと思います。

もし過去に戻って修正するなら、ケニアでの練習の仕方とかですかね。

4日前に降りたことよりも、高地でどんだけ追い込んだら、どんな感じになるのか把握しきれていなかったんです。
筋力を整えるというか、フィジカル部分での調整もミスってたかなと。

加納:思ったよりマラソンって難しいと思いましたか?

宇賀地:そうですね。 正直、やるほどに難しく感じていったのかもしれないです。というか、難しく考えるようになっちゃったんでしょうね。

加納:それはわかる気がします。次の目標はどこに置いたんですか?

宇賀地:2015年の北京世界選手権、そして2016年のリオデジャネイロオリンピックが目標でした。

当時は、世界選手権8位入賞で日本人トップならオリンピックいけたので、それに選ばれようと思いました。準備期間も1年ありますし。

加納:目標に向かって、どんなことやったんですか?

その頃だったのかな、宇賀地くんが月間1,500km走っているって、聞いたことあったんだけど、それは本当にやってたんですか?


(写真:(C)Kenta.Onoguchi)

宇賀地:2014年12月の福岡国際マラソンに向けて、徹底的に量を追求したらどんな感じかなと1度やってみようと北海道合宿で試みました。

加納:いや、背びれ尾びれのついた噂だと思ったけど、本当だったんですね。

宇賀地:僕はセンスある方じゃないんです。

練習しないと不安になるし、やると決めたことはやらないといけなくて、 出来なかったら出来なかった方へフォーカスしがちなんです。

だから、1,500km走った時も、これをやれば走れるという確信を持っていました。 決めちゃったんで、やり遂げたい。

マラソンに対して自信がなかったんで、確信が欲しかったんです。

加納:確かに、私も30km走の出来で、その時の気持ちの不安を解消していたりしてましたからわかります。
マラソンは2時間以上続く競技なので「走れる、これで大丈夫」っていう確信は欲しいですよね。

ちなみに8月に1500km走って、その後の9.10.11月はどんな感じでやったんですか?

宇賀地:9月までは1,000km超えるくらい走っていました。

10月、11月は駅伝もあるし、福岡もあるので、少しづつ練習を落としつつやってましたが、落とすタイミングずれてしまいました。
もっと思い切って落とせば良かったなって思いました。

レースが近づいているのに、思った以上に調子が上がってこなくて、それで精神的に焦って、崩してしまった走りの動きが立て直せなかったので、メニューを直前に変えるみたいなことをしてしまったんですよね。

加納:福岡のスタートラインに立ったときの気持ちはどんな感じでしたか?

宇賀地:正直、不安しかなかったです。

逆に、8月に徹底して走れた自分を信じて走りました。
それもあって2時間10分50秒で走れたかなって思います。もし、気持ちが完全に負けていたら、もっとひどい結果だったと思います。

加納:本当はもっと高い所目指していて、絶対に次はいけるはずだとか、色んなこと考えながらやっていたと思うんですけど、この数年はどんな心境でやってました?

宇賀地:こうしたいと思って、やったら結果うまくいかなかったり。

アプローチを変えていくうちに何が悪いのかわからなくなったり、最終的に走れない原因が何なのかもわからなくなってしまったんです。
そこに立ち向かっていくモチベーションがマラソンやるたびに徐々に削られていってました。

それでも、東京オリンピックがあったので、MGCの権利をとって、東京オリンピックにつなげるって気持ちが唯一の拠り所でした。

最後のマラソンが福岡だったんですけど、そこに向けてはすごくモチベーションは高かったんです。
これまでのマラソン練習を踏まえた上でアップデートして、自分にフォーカスした形でやらせてもらいました。

でも、結果はワーストで、次への気持ちが向かえなかったんですよね。

これまでは、マラソン失敗しても、次どうしよう、次もう一回ってなってたのが、MGC、そしてオリンピックというのが見えなくなって、「このあたりで潮時かな」と。

加納:今振り返っても、マラソンは難しい?

宇賀地:強がりに聞こえるかもしれないですが、自分が難しくしてしまっていたなって思います。もっと気軽にやっても良かったのかなって。

チームのスタッフはじめ、いろんな方からアドバイスいただいていたんですど、結局、最後の最後まで完璧を求め過ぎたあまり、自分で迷いを作ってしまったなって。

加納:こういうと嫌かもしれないけど、そういう迷いながらも突き進む宇賀地選手だから、たくさんの人を感動させ、記憶に残る走りができたんだと思います。

宇賀地:もしもう一度やるなら、勢いを殺さないようにしたいです。

良い流れの時ってあるので、そこで変に守りに入ったり、保険かけずに、勢いのままにドーン!っとマラソン走ってしまえば良かったって思います。

加納:私も、初マラソンをもう1年マラソン早めておけば良かったって思いました。

オリンピック路線に乗るには、経験と実績が足りなかったなと。 勢いがある時に、怖いもの知らずでチャレンジするほど強いものは無いと思います。

宇賀地:です。最初の一歩こそ守りに入らずいけよって言いたいですね。

プレイングコーチとして

加納:2019年3月で競技は引退。 これからはコニカミノルタでプレイングコーチで活動していくということですか?

宇賀地:そうです。僕は自分中心になりきれなかったので、チームのためにだけ動けるコーチという立場は向いていると思います。

加納:まだ結構走れると思うけど、現役の状態を10とすると今はどのくらいですか?

宇賀地:今は、7くらいですかね。ちょっと練習すれば、5000mで13分台、10000mで28分そこそこで走れるといった感じです。

加納:さすが宇賀地選手って感じですね。当面は、その力を維持しながらやっていくという感じですか?

宇賀地:今年1年はそのつもりです。

加納:引退した後に、その記録を維持出来るモチベーションはどこからきてますか?

宇賀地:僕はチームの最低ラインでいたいなと思っているんです。

駅伝は7人(日本人6人)で走るので、6番手にいたいなと。 宇賀地に勝てば、駅伝走れるぞみたいな感じですね。

最終的には、優勝するチームの7番手にいたいという思いが強いです。
僕を超えてないと駅伝走れないよって言う雰囲気を作りたい。 本番を走ることはないと思いますが、いつでも走れる準備はしておくという感じです。

加納:宇賀地コーチが引っ張るコニカミノルタに注目ですね。

宇賀地:その期待に応えたいですね。 直近の目標は、まずニューイヤー駅伝の優勝です。

うちのチームは今、ベテランと若手の力の差が大きくなってしまっていて、自分の立場がこうあるように、競技歴の長い選手があと何年も高いパフォーマンスを発揮し続けてくれる保証はない状態です。

若い選手たちの成長がマストになっていくので、僕は日本代表として走らせてもらった経験や色々見させてもらってきた部分をしっかり伝えていきたいと思ってます。

加納:ひょっこりニューイヤー駅伝を走っちゃったりしちゃう、宇賀地選手復活にも期待しちゃいますね笑

宇賀地:それはないですよ。

あ、でも磯松監督がプレイングコーチの時にピンチヒッターで急遽アンカー走って優勝のゴールテープ切ったので、あり得るかも笑

加納:それも期待しておきますね笑

宇賀地:いやいや、そうならないようにしっかり鍛えときます。

加納:若い選手は宇賀地コーチと一緒に走ってもらえる今に価値がありますね。

沢山の貴重なお話、どうもありがとうございました。これからもしっかり応援させていただきます!

インタビューを終えて 加納由理の振り返り

お読みいただきありがとうございます。実はインタビューは予定時間を大きく超え、文字起こしした元原稿は2万字に迫る内容でした。

収めきれずにカットした部分も多くあるのですが、それでも約1万字の及ぶロングインタビューになりました。

同じ長距離選手ということ以上に不器用で無骨な感じが私自身の現役時代を思い出さされ、ついつい長い話になってしまいました。
その分、共感していただける内容になったのではないでしょうか。

宇賀地君から学ぶべきところは多々ありますが、私の思いを加味して特筆すべきポイントをピックアップしてみると。

◉1つの夢に向かう思い

中学の時に見た「箱根駅伝」 。駒沢大学に入って、箱根で優勝するには、どう行動すれば良いのか。

誰しもが思いと結果が伴うとは限りません。でも、やってみないことには思い描いた結果は望めません。どれだけ強い思いを持って、やり続けるかが大切。

◉目標達成に向かってやると決めたらとことんやる

目標達成に向かって躊躇せずにとことんやりきる。考えるだけではなく、行動しつづける。もし思い通りにいかずダメだったとしても、次は修正して再びやってみる。

もちろん競技の世界でも大切なんですけど、ビジネスの世界で同じで大事だなと痛感しています。

◉仲間への思いやり

今後はプレイングコーチとして活動していくことが期待される宇賀地君。

彼の言葉の中から至るところで、自分のこと以上にチームを思いやる気持ちが伝わってきました。 選手とも近い位置であるからこそ、価値のあることだと思います。

最後に

宇賀地さんのお話を聞いて感じたのは、良い時もそうでない時も、目標達成へ向かう姿勢。 結果を出しても、変わらない競技に対する姿勢は、信念と願望の強さだと感じました。

彼自身が努力して、苦労して、結果を出しても慢心することなく、常に向上心をもって、常に進化をしてきた人だからこそ、指導者としてどんな進化を遂げていくのかが楽しみです。

2020年の東京オリンピックに向けて、プロアマ問わずマラソン熱は高まる昨今、この記事が1人でも多くの方に読んでいただけると幸いです。


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