2019月07年06日
幼少期、特に運動神経が優れていなかった私が、トップアスリートになるまでの道のり
私は、35歳まで女子マラソン選手として競技生活を続け、世界大会にも出場しました。
トップアスリートとして活躍した私ですが、子供のころを振り返ってみると、運動神経が良かったわけではありませんでした。
そんな私が、 なぜ世界で戦えるレベルになれたのか。
現役を引退し2年たった今、自分を振り返りながら解説していこうと思います。
今回は、陸上競技の世界に出会う以前の話である「幼少期編」をお伝えさせていただきます。お子さんをアスリートに育てたいと考えている方のヒントにもなると思いますので、ぜひ読んでみてください。
私の育ったのは、ごく普通の家庭だった
子供の成長には育った環境が大きく影響すると言われているので、まずは私の家庭についてお話をしたいと思います。
加納家の家族構成は、会社員の父、パート務めの母、陸上競技をやっていた5歳上の兄、そして私の4人です。
お母さんは、礼儀や躾に厳しいけれども、とても優しい人です。昔はよく怒られたので、「お母さんは恐い」というイメージがありましたが、小学校高学年になってからはまるでお友達のような付き合いになりました。
お父さんには「山に行く」「海に魚釣りに行く」など、よく遊びに連れて行ってもらっていました。
頑張ったときは全力でほめてくれ、怒ったとき時は本当に厳しかった母親。
積極的に自然に触れ合える場所に連れだしてくれた父親。
二人のおかげで、私はどんどん外に出て、苦手なことでも積極的にチャレンジするようになりました。
英才教育をされていたわけではありません
私は英才教育をされていたわけではありません。しかし、うちの母は先ほどお伝えしたように「躾」に関しては厳しかったです。
例えば「玄関の靴を揃える、挨拶、片付け、時間を守ること、自転車の乗り方」など、こういったことが出来なかったときは、厳しく怒られました。
躾に厳しい母ですが、「勉強をしなさい」と言われたことはほとんどありませんでした。私は体育・音楽が得意で、その他の科目は真ん中くらいの成績でした。
人として生きていく中で、勉強の成績をあげさせることよりも、最低限の常識を覚えさせることの方を、母は大切にしていたのかも知れないですね。
何故こういうことをお伝えするかというと、競技生活をしていく中で、自分勝手な人もいたからです。集団生活をする時に幼少期の躾などは大人になってもすごく影響するのだと思いました。
うちの場合、過保護でもなく、放置でもなく、適度な躾と、適度な愛を注がれて、自立を促す教育をされていたように思います。
チームで何かをするときに、こういう当たり前のことがとても大切だったように感じます。
温かい家庭が私のストレス耐性をつくりだした!?
私は余程のことがない限り、イライラすることはありません。それも親の影響が大きかったように思います。
加納家では、父と母が喧嘩をするのをほとんど見たことがありません。私はよく母親から叱られていましたが、母親が私の前でイライラしたり、感情的になったところをほとんど見たことはありませんでした。
私はテレビに影響されやすい子供でしたので、
「何で、うちはテレビの中で起きているような夫婦ゲンカをしないんだろう?」
「夫婦ゲンカを見せてくれ!」と密かに思う子供でした。
母親が感情的に安定していることは、子供の情緒が発達する上でとても大切だと言われています。
陸上競技を本格的にはじめてからも、どんな状況であってもちょっとしたことでは動じず、その時、その場で出来る最低限のパフォーマンスができていたことは、こうした環境が影響しているのかもしれません。
決して高くなかった運動能力
運動能力は生まれつき高い人もいると思います。私の場合、幼少期の頃はまだ表には見えていませんでした。
私の小さいときの憧れは、アニメキャラクターのアラレちゃんです。 いつでも元気なアラレちゃんのように、近所を遊びまわっていましたが、私は身体が小さく比較的弱かったので疲れると食欲がなくなってしまう子どもでした。
保育園・幼稚園の頃は、特別運動が出来たり、走るのが速かったわけではありませんでした。でも、走るのは好きでした。1番になれなくても、ニコニコしながら走っていたという感じでした。
私のように、幼少の頃から運動能力が発達していなくても、運動が好きであれば、将来アスリートになれるような子は沢山いそうですね。
習い事は、親の意向で決められていた
私が最初に始めた習い事はスイミングスクール(水泳)です。その後、習字やそろばん教室に通いましたが、それらは全て両親が勧めてくれたものでした。
女の子らしいピアノやエレクトーンにも興味があったのですが、却下されてしまいました。
最近になって「どうして、ピアノを習わせてくれなかったの?」と母に聞いてみろと、「部屋に置く場所がなかった。」「プロになれるわけない。」という答えが返ってきました。
この頃から、親は私に何が向いているかに気づいていたのでしょうか。そうだとしたら、親の選択は間違いではなかったと感じます。
欲しいものを得るためには努力と忍耐だった
習い事の他にも、我慢していたことがあります。それは小さい子なら誰でも経験する「あれが欲しい、これを買って」と買い物で駄々をこねることです。
幼少期の我慢のおかげで、私は現役時代にうまくいかない時期や壁があってもめげずに競技を続けられました。「置かれた場所で諦めずに頑張ってみよう」という私の常日頃の考えに繋がっているように思います。
走るきっかけは兄の影響
アスリートは第二子が活躍するということが言われています。サッカー選手のカズこと三浦知良選手や本田圭佑選手、野球のイチロー選手も全員第二子です。陸上競技でもエチオピアのディババ姉妹も強いのは妹でした。
私にも5歳上の兄がいました。私が陸上競技をはじめようとしたのも兄の影響です。 走るのが得意だった兄は中学で陸上部に入りました。 私が小学2年生の時、三重県の伊勢で行われた全日本中学陸上選手権に兄が出るため、大会に連れて行ってもらいました。 「走るのが速くなったら、大会で色んなとこ行けるんだ!」と、思った私はその時に陸上部に入ることを決めたのです。
そんな経緯で、中学校に上がると迷わず陸上部に入りました。
アスリートの育て方!
私が幼少期をどう過ごしてきたか。両親からどのような育てられ方をしてきたか。
それによって今、自分にどのような影響があるのか。
色んな角度から要点を絞り、「今でも自分にとって大切だ!」と思っていることを、書かせていただきます。お子さんをアスリートに育てたいという方がいらっしゃったら、参考にしてみてください。
1つ目は「○○をやりなさい!」と強制するのではなく、子どもが好きなこと、得意なことを尊重することです。
私が陸上競技を始めたきっかけも、「好き」という気持ちです。好きだから続けているうちに結果が出て、褒めてもらえたら「もっと頑張ろう」とやる気になります。
努力するうちに学校で1番になり、市内でトップになり、県・全国・世界へと繋がっていきました。いつどこで大きいきっかけがつかめるか分かりませんので、お子さんをアスリートに育てたいという皆さんは、今お子さんが熱中していることに集中できる環境をつくるサポートをしてあげてください。
すぐに結果が出なくても、いつか必ず結果に結びつくはずです。
2つ目は「子どもがやると決めたことを徹底的に応援すること」です。
これは実際にアスリートの立場になると分かるのですが、結果を出すための何よりのマインドは「自分にはこんな強力な応援団がいるんだ」と思うことです。何故なら、自分を応援してくれる人が喜ぶ姿を思い浮かべると、自分の持っている以上の力が湧いてくるからです。
私は、レース後、応援に来てくれた両親や、指導してくれている先生に顔を合わせる瞬間がすごく好きでした。「なんて言葉かけてくれるやろう・・。」これは、結果が良かった悪かったに関わらず、自分の近くにいてくれる人に会うことで、緊張から解かれるという思いからかもしれませんね。
最初から何でも出来るわけではありませんし「どうなるか?」「どうなりたいか?」は自分次第だと思います。ですので、もし、このブログの読者の方で小さいお子さんのお父さん、お母さんがいらっしゃったら、今、お子さんができる・できないに関係なく、お子さんの好きなことをしっかり応援してあげてほしいなと、思います。
特に幼少期では、家族からの応援こそが子どもの最大の支えになります。幼少期に応援してもらった記憶は、長い競技生活を乗り切るための強力な栄養になります。
いかがでしたでしょうか?
このブログ記事が皆さんの次の挑戦のきっかけづくりになることを祈っています。