2020月01年15日
競技としての見た目では、一人で走っているマラソン。
実は、本番で爆発的な力が発揮できたのは、「一緒に走っている仲間の力があったから。」と思ったことのあるランナーは多いはずです。
私も、その感覚を体感して結果を残せたことがあるのです。
今回は、そのエピソードをご紹介いたしますね。
普段から、自分自身を追い込みがちなランナーは、特に必須かと思います。
走れるはずが、走れなかった最後のポイント練習
遡ること、2005年の2月。
私は、1月の京都で開催される「都道府県女子対抗」の9区10kmで31分45秒で区間賞をとり、そのまま絶好調のまま2月下旬の「横浜国際女子駅伝」を迎える流れでトレーニングをしていました。
「横浜国際女子駅伝」で、自分が任される区間は、レース1ヶ月前からエース区間の2区10kmを走るということが決まっていました。
日本代表チームとして、エース区間を任されることは、絶好調からなのか特に緊張感もありませんでした。
ですから、大会直前までのアメリカ・ニューメキシコ州アルバカーキでの合宿のトレーニングも絶好調でした。
強化トレーニング中、合宿後半でも、標高1800mでペースメーカーなしで、5000mを16分15秒くらいでまとめてれるような走りができていたので、かなり好調だったと思います。
だいたい流れとしては、レースの10日前にアルバカーキから日本に帰国し、平地にならしながら時差調整、疲労を抜きつつレースに向けて調子を整えていくのがいつものパターンです。
帰国してからも、自分が調子が良いことはわかっていましたので、特にレースに向けての緊張感もなく、リラックスして過ごしていました。
しかし、最後の調整の1000m×4本で、最後の1本もがいても3分10秒までしか上げることができない、呼吸もめちゃくちゃ苦しい、今までの気持ちよくレースに向かっていた自分の心境が一気に変わってしまったのです。
先輩と一緒に走った1回の調整ランで一気に!
最後の調整が走れず、一気に気持ちがどんよりしてしまいましたが、いまさら区間変更はないのです。
レース2日前に、開催場所の横浜へ移動し、自分自身に不安もありながら、自分が走る2区を試走し、その試走に、当時資生堂の先輩であった、尾崎朱美さんが一緒に走っていました。
※尾崎朱美さん:資生堂、セカンドウィンドの先輩、2006年東京国際女子マラソン2位、2009年北海道マラソン2位、マラソンベスト2時間27分23秒
50分くらい一緒に走ったのですが、身体に力を入れず、呼吸にも負担のかからないようなペースのジョグがかなり心地よかったのです。
普段からジョグでもほっておいたら、1km4分くらいで走ってますから、当時の私にとってはペース的にはかなりゆっくり感じましたね。
そして、2日後のレース。
私は、10km31分25秒の区間新で走り、日本チームも優勝しました。
その時に気づきました。
尾崎さんと2日前に、力を入れず、ちょっと雑談しながらの心地よいジョグで、一気に疲労が抜けて調子が上がったんだなと。
レース前の調整というのは、自分の今までの調整法だけでなく、仲間の調整法を試してみることで、色々な気付きがあるのだなと、自分の身体を持って知りました。
皆さんも、自分の周りのランナーの調整法に便乗すれば、その時々の自分に合った調整法が見えてくるかもしれませんよ。
まとめ
2005年のヨーロッパ遠征にて
このエピソードは、私の22年間のうちのほんの一部です。
その一瞬の出来事が、私にとっては、その後のランナーとして走り続けるため、自分の気持ちに柔軟性を持たせるということで、重要な事だったのです。
一瞬で良い感覚がつかめることって、走ること以外にも仕事でもある感覚だと最近すごく思います。
だから、その感覚を見逃さないようにしないといけないなと。
今後も、自分の経験をどんどんアウトプットして、読んでくださる皆さんのお役に立てればと思います。
最後まで、読んでいただきありがとうございました。