2019月07年19日
東京マラソンまでの道のり
東京マラソンの朝
4時半に携帯の目覚ましで目が覚めた。昨晩は22時半に布団に入ったが、レース前ゆえに気持ちが高揚しているのかレース前に十分なトレーニングが積めていないので脚がもつだろうかとか、踵の痛みが再発しないだろうかとか、不安がぬぐえなかったせいか、なかなか寝付けなかったので、眠気のある朝だった。
4ヶ月前の大阪マラソン
今回の東京マラソンは引退後2本目のフルマラソン。昨年10月の大阪マラソンは、引退後初フルマラソンだったという緊張はあったものの、「ゲストランナーとして楽しみたい」という気持ちが勝っていて、気楽なスタートだった。
一応、東京マラソンの出場権利(2:52’00”が女子エリート出場枠)を取るという目標はあった。レース前は3年半ぶりのフルマラソンで、トレーニングも現役の時とは比べ物にならないくらいできていなかったが、予想していた以上の走りができてしまい、2:45’49”でゴールすることができ、「これで2時間50分を切れるのか?」といった拍子抜けした感じがあった。
練習不足ゆえ、後半は苦しい話になったのだが、一番の収穫は現役の時とは違ったマラソンの楽しみ方が出来たことだった。そう言った意味では今回の東京マラソンも「楽しむ」ということがテーマの一つだった。
初めての東京マラソン
男子は東京マラソンが世界大会の選考レースになっているが(今回の東京マラソンがリオデジャネイロオリンピックの選考レース)、女子はそうでないため現役時代は出る機会がなかった(女子は2008年まで東京国際女子マラソンがあったがコースは東京マラソンとは異なる)。
大阪マラソンが終わって、東京マラソンの目標を「2時間40分以内」と設定した。最低でも大阪マラソンの2時間45分は更新したいと思っていた。
自分で管理する生活とトレーニング
現役時代は自分のマラソンにだけ集中して取り組んでいれば良かったし、コーチの指示に従っていれば迷うことも少なかったし、生活面もサポートしてもらっていた。
引退後はランニング以外のことにも取り組みはじめ、トレーニング自体も人から指示を受けることはないので、自分自身に厳しくならないとトレーニングを継続することも出来ない。
11月からマラソン練習をはじめ、2ヶ月間はじっくり距離を踏み、1月からは距離を維持しつつペースも上げていくという、少し欲張った練習も入れていった。
1月下旬までは順調にきていたのだが、急に寒い日が増えたこともあってか、以前から少し違和感のあった右の踵が痛みだしてしまった。
痛みと戦いながらのトレーニング
2月に入ってからは踵の状態をみながらトレーニングをするようになった。痛みは痛みそのものよりも痛みを気にして、(かばうように)無意識にフォームが崩れてしまうことの影響の方が結果的に長引くことがある。踵の痛みをかばってか逆脚に負荷がかかり足首が腫れるほどになっていた。
痛みは休んで治すのが基本なのだが、レースまでの日数も少なかったため、大事な練習の前はロキソニン(痛み止め薬)を飲むようにした。それでも、やりたかった練習の6割程度しか出来なく不安は募っていった。
大会1週間前に予定していた20km走も痛みがあって15kmで止めた程だった。あとはジタバタしても仕方ないと割りきって、とにかく練習を緩めて痛みを和らげるのと、疲労抜きに徹していった。1月まではしっかり走れていたのでそれが良い結果に出ると信じ込むようにしていた。
東京マラソンスタート前
家から会場まで
レース当日、4時半に起きて、5時におにぎりを2つ食べた。もう少し食べたいと思ったが、固形物を受け付けない感じがしたので、はちみつをスプーンにすくって数杯飲むことにした。
レースの準備をし、スタート地点の都庁前へ向かった。本当は7時までにスペシャルドリンクを提出しなければいけないのだが、ウィルフォワードの成瀬さんが付き人を買って出てくれたので、色々とお願いして任せることにした。
会場での準備
会場につくと、現役時代の知り合いたちとの再会が待っていた。特に懐かしかったのは海外レースに出ていた時にエージェントとしてお世話になっていたレイリー・ブレンダン(今回はエドナ・キプラガトのエージェントとして来日)だった。
エリート選手のウォーミングアップはスタート付近の数百メートルのエリアを使うことができる。世界のトップアスリートたちと再び同じ空間で肩を並べて走る(ウォーミングアップだが)と自然と気持ちにスイッチが入っていった。
15分くらいのジョッグと動きづくり(動きを意識した運動)と流し(速いスピードで軽く流す)などで身体を温めた。
緊張からのリラックス
付き添いをしてくれていた成瀬さんは学生時代は陸上競技をしていたからか、ウォーミングアップを見ながら楽しそうにしていた。緊張している私に「現役時代の近づき難い加納由理に戻ってるよ。せっかくなんだから、気負わず楽しもう。応援してくれた人に手を振り返すくらいの余裕でさ。どうせ最後はきついんだし30kmまではお散歩で」と言ってくれた。
緊張しているのもバカバカしいかなと思い、気が楽になった。最終コールで並んでいる時に、自分が現役時代に資生堂に在籍していた時に一緒に走っていた選手たちとも再会できて一緒に写真を撮ることができてうれしかった。現役時代にはこんなことはできなかったし今は今の楽しみ方をしようと開き直ることができた。
加納由理の東京マラソン2016
いよいよ東京マラソンスタート
ここまで来ると、脚の不安や練習ができてないことなんてどうでも良くなってくる。ようやく完全に「今日は楽しむぞ!」という気になることができた。
9時10分、マラソンスタートの号砲。ハート型の花吹雪が舞う中、新宿都庁前を3万6,000人のランナーが通過していった。
最初の5kmはかなり下ると聞いていたので、ペースが上がり過ぎないように、少しペースを抑えつつ、気持良く下っていった。
少し予定よりも速いラップを刻んでいたが、脚には余裕があったが後半に備えて脚を使い過ぎないようするために、3’40”〜45”/kmを守るようにした。
沿道の声援を力に
初めての東京マラソンは沿道の応援もすごかった。友人や知り合いもたくさん応援してくれたのだが、それ以外の方も「加納ぉ〜!」「加納頑張れ〜」「パンちゃん、頑張れ〜!」と自分のことを応援してくれる人がいっぱいいて、走りながら幸せな気持ちになった。
現役時代と大きく違うのは気持ちにも余裕があること。沿道の応援に応える余裕もあった(全てはできていませんが、現役時代のゼロから比べるとすごい差)。
大阪マラソンの時との違い
大阪の時は25kmでガクンとペースダウンしてしまい「あと15km」、「あと10km」、「あと5km」、「あと3km」と残りの距離を数えながら、ずっと「早く終われ!」という気持ちだった。
今回は25kmまでは余裕を持ちながら走ることができた。30kmまでお散歩くらいの気持ちで行けたら良かったのだが、25kmからは少しきつくなってきた。
ついに本当のマラソンが始まる
マラソンはきつくなってからがマラソンなので、私にとってはここからが頑張りどころだと、リラックスモードから集中モードに切り替えていった。
30km以降も脚は重かったが、ガクンとペースダウンするほど脚にきていたわけではなかったので、若干ラップが落ちたとしても、気持ちだけは切らさないようと前のランナーの背中を追いかけた。
東京マラソンの難所
35kmからは橋を超えるアップダウンと向かい風の影響で更にきつくなってきた。沿道の応援を力に変えながら、とにかく「大丈夫」と言い聞かせ粘る。
現役の時は、距離に対しての不安はなく(脚にきて止まる)ということを感じることはなく、いかに力を出し切れるかという感覚だったので、脚が止まってしまうんじゃないかという不安で40kmを通過した時まで続いた。
「あと2km以上あるのか」と思いつつも、「ここまできたら2時間40分は意地でも切りたい」と再度スイッチが入った。
ラストスパート
最後は時計とのにらめっこ。42kmの距離表示を過ぎ、最後の直線に入った時に待望のゴールが目に飛び込んでくる。
ラストスパート。そして、ゴール。
タイムは・・・2:39’37”
目標の2時間40分を切ることができた。安堵と達成感と同時に感謝の気持ちが湧いてきた。
東京マラソンのその後
総合15位、日本人6位
順位は全く気にしていなかったので、ゴール後に自分が総合15位で日本人6位だったことを知った。
レース後は着替えをして、エリート選手用のラウンジで水をがぶ飲みして、アミノ酸を補給して、用意されていたおにぎりを一つ食べた。
現役時代は何もかもしてもらうのが当然の環境にいるため気づきにくいが、こうやって荷物を運んでもらうのも、安全に走ることができるのも、ましてやエリート選手には食事まで用意してもらえているのなんて、何一つ当たり前のことなんて無いんだなとつくづく思う。
走った人の数だけ
走っていた友人たちと応援してくれていた友人たちと合流し、食事をしてから帰路についた。東京マラソンを走って、大幅に自己記録を伸ばしたり、悔しい結果になったり、走りたくても走れなかったり、走った人の数だけマラソンがあると思っていたけど、応援した人の数も合わせて東京マラソン2016があったんだなと思った。
しばらくは休みながら、次の目標を見つけつつ再スタートしていこうと思う。私がこうやって発信することに挑戦することで(実はブログを書くのが苦手でまだまだすごい時間がかかっています汗)、陸上競技選手のみならず、市民ランナーの方も、何か新しいことに挑戦しよう!とする人の勇気になれたらと思います。
今回の東京マラソンはたくさんの応援をどうもありがとうございました。これからも加納由理をどうぞよろしくお願いいたします。