2022月02年03日
先日、桐生祥秀選手(東洋大学)が日本人史上初100m9秒台を出し、盛り上がっている陸上界。いまから、8年前の2009年、同じように800mで日本記録を出した大学生がいました。
それが今回、対談させていただく横田真人さんです。当時、慶應大学4年生が15年ぶりに記録を塗り替えたと話題になったのです。さらに2012年、日本人選手として44年ぶりに800mでロンドン・オリンピックに出場しました。
その横田さんをお招きし、加納由理アスリート対談第3弾では、「結果を出すための戦略的な考え方」「アスリートとしての姿勢」「長期に渡り、世界の舞台へ立てなかった日本人選手の中距離の扉を開いたポイント」について伺っていこうと思います。
これからトップを目指すアスリート、そしてアスリートを育てる指導者、そして、ビジネス的な観点でも参考になる内容になっていますので、読んでいただけると幸いです。
横田真人さんのプロフィール
男子800mにおいて、日本選手権6度の優勝、ロンドンオリンピック日本代表、元日本記録保持者。2010年慶應義塾大学在学時に1分46秒16を記録し、日本記録を15年ぶりに更新。
その後、2012年ロンドンオリンピックにおいても、日本人選手として44年ぶりに出場するなど、日本の中距離界を代表するランナーとして活躍。
2016年の岩手国体を最後に現役引退。
現在は、NIKE TOKYO TCのコーチをとして、世界を舞台に戦う選手を育てるべく、若手アスリートの育成に尽力を注いでいる。
横田真人と私・加納由理との関係性
加納:今日はよろしくお願いいたします。はじめに、横田「さん」ではなく、普段から呼んでいる「くん」の名称で呼ばさせていただきますね。さて、私たち2010年の広州アジア大会に一緒に出場していますよね。横田くんは社会人1年目の時でした。
横田:はい、ただ加納さんと一緒に話した記憶がないんですよね。
加納:私もなんです(笑)ただ、その後、強化指定選手だったので、国立科学スポーツセンターで会ったりして、いつの間にか話すようになりましたよね。
今日は日本記録やオリンピック出場に至るまでの経緯や、アスリートとして、どのような考え方、どのような意識で競技をされていたのか、そして、今後目指していることなどを伺いたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
トップアスリートの原点とは?
加納:まず初めに、私がお伺いしたいポイントは、なぜ横田くんが日本で人気のある長距離ではなく、800mにこだわり続けたのかという点です。もともと800mをはじめられたのは、何かきっかけがあったんですか?
横田:僕は中学3年生(立教池袋)まで野球部だったんです。
ある時、陸上部の人数が足りないから走ってくれと言われて出たら、区の大会で優勝したんです。それが、陸上をはじめるきっかけになりました。
加納:確かに、助っ人で駆り出されてそのまま陸上はじめるきっかけになる人いますよね。
私の資生堂・セカンドウィンド時代の先輩、嶋原清子さんと尾崎朱美さんも中学時代はバスケットボール部だったようです。
野球部はもうよかったんですか?
横田:野球部はいろいろと拘束されるし、嫌だったんです。
大学受験も考えていたから、陸上なら受験勉強もしやすいと思ったんです。
あとはインターハイに出たら女の子にモテるかなと思って陸上に変更しました。
加納:なるほど、男子っぽい動機ですね。
出身の立教池袋高校は強豪校というイメージがありませんが、高校時代の成績は、インターハイと国体で優勝しましたよね。
どんなトレーニングをされていたんですか?
横田:メニューは自分で考えてほぼ直感です。
トレーニングを組んでくれる先生はいなかったので、跳躍の先生に動きや、相談に乗ってもらって、メニューは自分で決めていました。
その頃、金髪だったんですけど、大会前に顧問の先生から「さすがに大会は黒に染めろ」と注意されて、次の日は茶髪にして試合にいきました(笑)
加納: 陸上の大会で金髪で走っている高校生なんて見たことないですよ(笑)
高校時代から、練習メニューを自分で決めているなんて、自立していますね。
トレーニングメニューを決めるのに、何か参考にされた本はあったんですか?
横田:セバスチャン・コーの本ですね。
今は、トレーニング方法もネットを調べたらでてきますけど、その時はそれしかありませんでした。
その本を元にトレーニングをしていましたので、冬はめちゃくちゃ走っていましたよ。
※セバスチャン・コー: イギリスの元陸上選手。中距離を得意とし、1980年モスクワオリンピック、1984年ロサンゼルスオリンピックにおいて、1500mで金メダル、800mでは銀メダル獲得。中距離での世界記録更新は、12回に至る。現在は政治家。
加納:なるほど、横田くんはもうすでに高校時代から自分でトレーニングメニューを組んで、分からない時は先生に相談するなど、どうやったら強くなれるのかという意識をすでにされていたんですね。
私は、その逆で、顧問の先生が決めたトレーニングをしていました。
基本、全員同じトレーニングをしていました。まだ、力がなかったときはとにかく練習についていくのが必死だったことを覚えています。
選手として、強くなりたいという意志はありましたが、その頃はまだ、結果に結びつけるためにどのようなトレーニングをしたらよいかということまでは、考えてなかったように思います。
横田:そうそう、僕は自分の意思を大切にしてきました。先生の言うことを聞いて、辛い練習するなんて僕は嫌だったんです。
だから、「自分の意思がそこにあるのか?」僕は常にそれを考えてきましたね。
加納:同じ高校生なのに、置かれた状況がここまで違うのが面白いですね。
結果が出ないなら業界の常識を疑え
加納:私、実は実業団に入った1年目、中距離の陸連合宿に参加したことがあるんですよ。
横田:そうなんですか。その頃、酷かったでしょう(笑)合宿中にお酒飲むとか、普通でしたからね。
加納:そうですね。
日本のトップクラスが集まる合宿で、トレーニングオフ日の前日の夜にお酒を飲むというのが普通でしたからね。
次の日の朝、二日酔いで出てくる選手もいましたね。私は、実業団1年目でしたので、これが常識なんだというのが衝撃的でした。(笑)
今は、違いますか?
横田:今、そんな選手いたら褒めてあげますよ。(笑)
そんな感じだから、800mは僕がオリンピックに出場するまで日本人は44年間出場してこなかったんです。
ロンドンオリンピックに出場。800mは日本人として44年ぶり
ビジネスも一緒だと思いますが、結果が出ていないのは、原因があるんですよね。
結果が出ていないことに対して、疑問に思うかどうかです。
結果が出ていないんだから、僕は逆張りするしかないと思いました。
当時、中距離のトレーニングは長距離寄りのトレーニングをしていました。
例えば朝から集団走をするとか。
でも、僕はそれが逆だと思って、短距離の指導者に400mのトレーニングを教わり、スピードや動きにアプローチしてみました。
逆のことをやれば勝てる可能性が高いと思ったんですよ。
加納:なるほど、同じアスリートでありながら、そこまで考えて競技をされていたことに脱帽です。
確かに、私も走れてない時にあえて今までと違うアプローチをしたことで、結果走れたことがありました。
同じ自分という人間でさえも、ずっと同じやり方ではうまくいかないんですから、競技全体では尚更、状況によって変えていくことは必要ですね。
意思をもって競技に取り組んでいるのか?
加納:私が、横田くんを知ったのは、慶応義塾大学在学時です。
箱根駅伝常連校でもなく、慶応大学生が800mの注目選手として陸上界にポーンと出てきたことに面白さを感じたんですよね。さらに2009年・大学4年生の時に、800mで1分46秒16を記録し、小野友誠さんが保持していた日本記録を15年ぶりに更新しましたよね。
いい意味で、この選手、絶対変わってると思ったんです。
日本選手権では、2006、2007、2009〜2012年の6度の優勝を誇る
横田:僕は、生き方を決める時に「他の人とは違うこと」を選ぶようにしているんです。
慶応大学に行ったのもそうなんです。
陸上で伝統のある、筑波大や早稲田大に行きたい気持ちもありましたよ。慶応大も歴史がありますけど、慶応大に陸上で強い人がいるイメージがなかったので、慶応大にしたんです。
加納:進路って色々考えますよね。私も、大学を立命館大に決めた理由は、今まで須磨女子高から誰も行ってなかったという理由です。自分が行ったことで、後に後輩が続けばいいかなって思ったんですよね。
男子の大学生と言えば、大人気の箱根駅伝がありますよね。横田くんは、箱根駅伝を走りたいとか思わなかったんですか?
横田:確かに、日本は長距離も駅伝も人気ですよね。
僕は、駅伝好きだし価値も感じます。でも、僕は今まで誰もやってないことをやりたかったんです。
800mをやっていたこと、ちょっと意地もありましたけど、好きなことを追求するなら、とことんやればいいと思っていました。
「指導者や誰かが、箱根をやれ」といったら、「やる」というのは違うんですよね。競技に対して、そこに自分の意思があるかどうかですよ。僕の場合、それが800mだったわけです。
加納:自分が競技に対する意志や信念は、もろに結果に出ますからね。
実際に最近は、マラソンの川内優輝選手を筆頭に、自分の信念を感じる選手が出てきましたよね。
横田:自分の信念をもって競技をする。
そう言った信念を持つことが、競技にとっても当たり前にプラスだし、やめた後も応援してくれる人もいて、プラスになっていくのではないかと思います。
選手の競技観、そしてストーリーが共感をつくりだす。
加納:アスリートが自分の信念を持って競技をする。それに共感した人が応援してくれる。確かに、それはありますね。
横田:アスリートに求められることは、結果です。ただ一方でどれだけ共感してもらえるかという点も大切だと思います。
箱根駅伝もストーリーがあるから、共感が生まれ、応援してもらえるんですよね。
アスリート自身が『信念、意志、やりたいこと』という軸を持つことで、ストーリーが生まれ、それに共感して応援してくれる人が増える。そういうものの積み重ねですね。
もちろん、オリンピックに出ればスポンサーがつく。それは価値のあることですが「瞬間的な価値」なんですよね。
そう思ったのは、為末大さんと話した時です。
社会人一年目にアメリカのサンディエゴへトレーニングにいった時、為末さんもサンディエゴに住んでいて、よくお話しをして下さったんです。
為末さんが「横田、北京オリンピックでメダルとった人を何人覚えている?」と言われて、僕、ほぼ覚えてなかったんですよね。
為末さんは、「アスリートが競技を死に物狂いでやったとしても、3年で超加速度的に忘れられていくわけだよ。」とおっしゃったんです。
それを聞いた時に、僕らアスリートは『オリンピックに出場したり、メダルを取ったら、その価値は永遠に続く』と思ってたけど、そんなことはないと確信したんです。
もちろん、アスリートの軸は結果だと思うし、スポンサーはアスリートのその瞬間的な価値にお金を出してくれている。
でも、三年後には忘れられてるかもしれない。
そう考えた時に、やはり、結果のみならず、アスリートとしての競技観や信念に対して共感してくれる人が増えたらいいなと思いましたね。
そのためには、アスリートがもっと自己分析をして自分自身の社会的な立ち位置を分析する必要があると思います。
加納:もちろん、私はこんな選手になりたいという思いはありましたが、深く分析できていなかったですね。
今の話、現役時代に聞いてたら、競技観は変わったかも知れないです。これはビジネスのブランディングの話に通じるものがありますね。
業界の外から学ぶ大切さ。メンターの教えとは?
加納:横田くんの話を聞いていると、ただ結果を求めているアスリートではなく、独自の競技観を持ったアスリートですよね。どういう過程でそういう考え方に行き着いたんですか?
横田:まず、僕は大学卒業後、実業団選手として生きていくか、就職するのか悩んだんですよね。800mでは食っていけないですから。
慶応大から就職するというのは王道です。
ただ当時のゼミの教授が、バリバリのビジネス専門の方なんですけど、競技は続けた方がいいと言われたんです。
教授に言われたのが、「800mという競技を追求すること、それは、横田君にしかできないことだと思う。
慶応大学時代の横田さん
でも、競技を続けながら、それ以外の軸をつくらないといけない。」と言われたんですよね。
それで「とれ!」と言われたのが公認会計士でした。
その上、「世界で戦うのに、英語が話せないやつがいるか。」と言われました。それで、米国公認会計士をとろうと思いました。
加納:失礼ですが、お世話になった先生はどなたですか?
横田:上山信一先生です。
慶応の教授で東京都や大阪府の特別顧問もされています。
先生の仰ることは、めちゃくちゃ自分の中に入ってきたんですよね。
「10年後にアスリートが出る世界は、先生たちがいるビジネス社会。」このアドバイスは現実味があって、自信が持てました。
加納:すごい恩師ですね。こうしたビジネスの観点が横田くんの考え方に大きく影響を与えたんですかね。
横田:陸上関係者じゃないメンター(人生の助言者・指導者)がいたのがよかったですね。
2012年のロンドンオリンピック終わった後にも、先生がアドバイスを下さいました。
立ち位置を客観的に見てくださる人がいたこと、ありがたいことです。
アスリートでは為末さんがロールモデルです。為末さんの生き方も近くで学ばせていただきました。
また、競輪の長塚智宏さん(2004年アテネオリンピックチームスプリント銀メダル)が「自分がなりたい大人になる方法教えてあげるよ。」というお話をしてくださり、「なりたい大人の近くにいればいいんだよ。」と言われました。
「こういう生き方をすれば、こう言う人になる。」って言うことが、学べたんですよね。
そういう人生のアドバイスをくれるメンター(助言者)みたいな人は、まだアスリートには少ないと思います。
加納:私もそうでしたけど、その世界以外のことを知らないから、陸上だけの世界になっちゃってました。
出口を考えておくことの重要性
加納:先ほど「競技をやめたらビジネスの世界」だとありましたが、私も競技を辞めたときにいきなりビジネスの世界に放り出された経験をしました。
ビジネスのスキルなどは備えもしていないから、今まで自分がやってきたことの価値を感じられなくなり、自信もなくなってしまって、底に落ちる経験をしました。
実業団に入る前に、出口を意識しておくことはアスリートのセカンドキャリアにとってものすごい大切です。
横田:アスリートは競技の話だとだいたい強気に話すのですが、競技を離れてセカンドキャリアの話になると急に弱気になるんですよね。
例えば、「為末さんみたいになりたい」って思っても、「それは為末さんだからできることだから」みたいに。
加納:私は為末さんと年齢が一緒なんですけど、大学時代一緒にユニバーシアード(1999年)にいった時は、今みたいな感じじゃなかったですからね。
競技をやりながら、どんどん変化していくのを間近でみえていて、同じ人とは思えませんでした。大学時代も知っていますし、今の為末さんも為末さんなんですけど、私も、為末さんの生き方には憧れますね。
横田:僕も競技を終えたあと何をしようとかを意識して競技していたわけではないです。
でも、そのあと自分が社会でどんな価値を提供できるか考えることは大切ですよね。
競技やっているだけだと限界がありますからね。僕の場合、会計士を取得しました。
そういうものをきっかけにできれば、引退後が色々と膨らんでいきますよね。
加納:今、話を聞いて、選手時代にもっと時間を効果的に使えばよかったと後悔しました。
ところで、練習と公認会計士の勉強大変だったんじゃないですか?
横田:勉強なんてできないですよ。中距離の練習は、椅子に座っているのも大変ですよ。
長距離も似たようなことありますよね?
加納:疲れすぎて、寝れなくて辛いってのもありますね。
横田:練習と勉強の両立は辛いのは分かっていましたから。
でも、そういうのも含めてやると決めていたので、そこは結構頑張ったと思います。
加納:2015年に米国公認会計士を取られたんですよね。きつい練習の中での勉強。しかも、英語ですよね。お話しを聞いただけでも、大変さが伝わってきます。
それでは、ここからは世界で戦う上でのお話を聞いていきたいと思います。
後編はこちら ⇒「トップを目指す上で絶対に欠かせない指導者との相性(対談:横田真人) 後篇」
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