2019月07年19日
2009年ベルリン世界陸上競技選手権大会を三編に分けて振り返っています。まだ[準備編][調整編]をお読みで無い方は、是非、合わせてお読み下さいませ。
前編:2009年ベルリン世界陸上競技選手権大会レース回顧録[準備編]はコチラ
中編:2009年ベルリン世界陸上競技選手権大会レース回顧録[調整編]はコチラ
ベルリン世界陸上の舞台
ベルリン世界陸上ウォーミングアップ
11時のスタートに合わせ、9時頃にアパートを出発した。スタート地点のブランデンブルク門までは歩いて移動した。気温は25.6度。 決して涼しいとは言えないが、日本に比べると湿度が低い分、かなり楽に感じる。
ウォーミングアップは、スタート地点横のウォームアップエリアか近くのティアガルテン公園を使う。スタート1時間半前くらいから、徐々にストレッチをしたり、身体を動かしたりする。
初めての世界大会に自分が緊張しているのか?、してないのか?はよくわからなかったが、まだ落ち着いていた。
ウォーミングアップを終え、日本代表のJAPANと書かれたユニフォームに袖を通す。監督、コーチと別れ、最終コールが行われるスタート地点へ向かう。監督からの最後のアドバイスは、「位置取りとスパートのタイミング」についてだった。
スタート地点に到着し、ここで初めて、いつものレースと見える景色の違いに気がついた。「あぁ、私はこれから日本代表として世界を相手に戦うんだ」と思うと少し緊張してきてしまった。
暑さはまだ感じないが、日差しがかなり強かった。スタート地点に立ち、深呼吸。「やれることはやった。あとは力を出すだけ」そう自分に言い聞かせていると緊張は静かな闘争心へと変わっていった。
加納由理のベルリン世界陸上
ベルリン世界陸上、号砲
11時号砲。一斉に約70人のランナーによる世界陸上女子マラソンのレースがスタートした。コースは一周10kmのコースを4周して、最後の1周のみ距離を合わせるために大回りして戻ってくる42.195kmである。
ベルリン世界陸上はスローペースのスタート
レースはスローペースで始まった。各国代表の力のある選手が揃っているのだから、位置取りは非常に難しい。最初の1周目は集団のやや後ろでレースを進めた。と言うか、うまく位置取りが出来なかった。
2周目に入っても相変わらずのスローペースではあった。その中でも細かいペースに上げ下げがあり、見た目のラップタイムほど楽ではなかった。ポツポツと遅れていく選手がいて、集団は少しづつ小さくなってきた。
給水は国ごとのテーブルで受け取る。日本チームの代表選手やスタッフが手渡しで給水を渡してくれる。1周目は何とか取れたといった感じだったが、バラけだした2周目からは取りやすくなった。集団が小さくなってきたこともあり、集団での位置取りも少しづつ前に取れるようになってきた。
ベルリン世界陸上
3周目に入りハーフの通過タイムが1時間13分40秒。まだ人数はいるが、このペースについて行くのがギリギリの選手も出てきているのが見てとれた。私に集団の中での位置取りを前の方に変えた。
25kmの給水地点で集団がバラける。スムーズに対応した私は押し出される形で先頭に立った。すぐに別の選手が先頭に変わったが、ペースが速くなったため集団は一気に10名ほどに絞られていた。
そして、30kmの地点で一気にロシアのユラマノワ選手が一気にスピードを上げるスパートをした。集団は一気にバラける形となった。ロシアのユラマノワ選手、そして中国の白雪選手、日本の尾崎好美選手、エチオピアのメルギア選手と続く展開となった。
私は先頭について行けず、第2集団で中国の周選手、同じく中国の朱選手とアメリカのガウチャー選手とレースを進める形となった。日本から応援に来てくれた両親、当時所属していたSWACの会員さんらの応援が目に映る、必死に私の名前を叫んでくれている。「期待に応えたい!」声援を背に受け、前を追いかけた。
35km過ぎたあたりで単独8位で、2kmほど単独走が続いたが、前を走っていたガウチャー選手を捕らえ、7位に順位を上げる。
ペースも上げれそうでなかなか上げられない。最後の一周は端数分も合わせて12.195キロを走るので、ベルリンテレビ塔のあたりが40kmポイントとなる。私は、40kmの給水をとったところで、スペインのバロス選手に追い抜かれ、再び順位を8位に下げてしまう。
ゴールまでの残り2kmは直線で見通しが良くなる。前方から一人、落ちてきた選手が見えた。ロシアのユラマノワ選手であった。一つでも上の順位を取りたい。みんなきついのは一緒。気持ちで負けてはいけない。最後の力を振り絞ってペースをあげる。ユラマノワ選手の背中がどんどん大きくなり、残り1kmの地点で遂に追い抜くことができた。
あとは全ての力を出し切るのみ。無我夢中で必死にゴールを目指した。そして、ゴール。私は7位入賞を果たすことができた。
ゴールすると、2位に入った尾崎好美選手が日本の国旗を持って待っていた。「2位になれたんだ!」と仲間の健闘をうれしく思った。そして、一緒に日本の応援団やエージェントのところに行き挨拶をした。
この「7位」という結果に最初は納得いかなかった。正直「できることなら」という思いはあった。しかし、自分の取り組んできた数ヶ月間のことを振り返ると、今できることには全力で取り組み、今出せる力は出し切ることができたかなと思った。そして、素直に7位入賞を喜びたいと思った。
私のベルリン世界陸上選手権大会は個人成績7位、そして団体戦で日本は2位として銀メダルを獲得し幕を閉じた。
ベルリン世界陸上レース回顧録をお読みいただきありがとうございます
3回に渡り、2009年ベルリン世界陸上競技選手権大会レース回顧録を書いてきました。お読みいただきありがとうございます。私の経験が誰かの勇気や元気になってくれたらうれしいと思っています。
ただ、何よりもこうやって自分の人生を振り返る機会をいただき、記事を読んでくださった方から温かい言葉をいただき、「自分のやってきたことに価値があったんだ」と思えていることを本当にうれしく感じています。なので、自分のために一番なっています。これからもコツコツ記事を書いていきたいと思いますので応援をどうぞよろしくお願いいたします。
まだ、読まれていない方はコチラも合わせてお読みください
前編:2009年ベルリン世界陸上競技選手権大会レース回顧録[準備編]はコチラ
中編:2009年ベルリン世界陸上競技選手権大会レース回顧録[調整編]はコチラ
後編:2009年ベルリン世界陸上競技選手権大会レース回顧録[レース編]はコチラ