2009年ベルリン世界陸上競技選手権大会レース回顧録[準備編] ブログ | 加納由理オフィシャルサイト

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パンダブログ

2016年3月29日

2009年ベルリン世界陸上競技選手権大会レース回顧録[準備編]
2009年ベルリン世界陸上競技選手権大会 マラソントレーニング編

挑戦の権利

「選ばれたぞ!」

セカンドウィンドACの川越監督からの電話で女子マラソン代表が決まったことを告げられた電話を受け取ったのは、練習を終えて自宅に着いたタイミングだった。

「これでやっと集中して準備ができる」

選考会となっていた前年の11月の東京国際女子マラソンに2位となり、ベルリン世界陸上代表の内定をもらうことはできなかったが、3月に行われた日本陸上競技連盟の理事会にて、選考会の結果と今までのマラソン実績が評価され8月に行われる世界選手権ベルリン大会の代表に選ばれることとなった。

選考会から選ばれるまでの4ヶ月は集中力にかく時期だったが、「これでやっと集中して準備ができる」という気持ちだった。

初めての海外マラソン「ロンドンマラソン」

4月下旬に未経験の海外マラソンを経験するために、ベルリンの試走も兼ねてヨーロッパ遠征を行い、その際にロンドンマラソンに出場することにしていた。マラソン練習はを不十分で、身体も絞れてなかったので、後半はペースダウンしたものの、それでも2時間28分49秒でまとめることができ、手応えを感じていた。

マラソントレーニング前半

疲労と不調の予兆

ロンドンから帰国してすぐに高熱が出て、2日ほど嘔吐を繰り返し寝こむことになった。ずっとレースが続いていたこともあり、何ヶ月かの疲労が一気に出た感じだった。散々なゴールデンウィークになってしまった。

ゴールデンウィークが明ければすぐに、マラソン本番に向けてポイントとなる7月の札幌国際ハーフマラソンまでの期間にアメリカニューメキシコ州アルバカーキの合宿の予定だった。体調不良をを長引かせるわけにはいかず、少しでも早く回復させるために救急病院で点滴を受けることにした。

体調が回復して、アルバカーキに移ることができ、マラソン練習が始動した。1,800mの高地は慣れるまでは少し走るだけで平地よりも呼吸があがるのがわかる。少しづつ高地に順応し走れるようにはなってきているものの、急激に体重が落としたせいなのかどこか身体のだるさが抜けなかった。

2009年札幌国際ハーフマラソン

1ヶ月半のアルバカーキでの合宿を終え、札幌国際ハーフマラソンのために帰国した。この時、自分では「ちょっと貧血っぽいな・・・」と感じていた。あくまで今回のハーフマラソンは、8月の世界選手権に向けての調整であったため、結果というよりも今の状態の中で力を出す走りをすることが目的だった。 とは言え、去年優勝している大会なので、変な走りをするわけにはいかないと自分では思っていた。

ハーフマラソンは例年と同じく13時スタート。 スタートからちょっときつい状態でのレースであったが、1時間11分02秒で5位と何とか状態が悪いなりにまとめることが出来た。 レースのダメージなのか、その夜は一晩中腹痛が続いた。

マラソントレーニング後半

貧血

翌日、東京へ戻って血液検査をすることにした。貧血の疑いがあったからである。検査結果は思っていた通りの軽い貧血であった。一般女性の血中のヘモグロビン値というのが12g/dlあれば十分なのであるが、私は普段から14〜15g/dlがある(女性としてはかなり高い数値)。しかし、この時は12.4g/dlしかなかったため、私にとっては軽い貧血といえる状態だった。

立命館大学での壮行会

ここで貧血だと落ち込んでいる暇はなく、世界選手権までの1ヶ月の期間で出来ることをすべてやる覚悟でいた。再びアルバカーキへ渡る前に、母校である立命館大学の女子陸上部OG、そして現役選手たちが京都市内で世界選手権の壮行会を開いてくれた。

立命館大学での壮行会

光栄なことに私は立命館大学出身者として第一号の世界選手権代表選手であった。そして、京都から東京へ戻り、再び最終調整のため再びアルバカーキへ渡った。

過去最高にレベルの高い合宿

もうこの時点でこれ以上身体を絞る必要はなく、とにかくこの1ヶ月で血液状態が少しでも回復させる必要がある。監督やコーチがいつも以上に食事バランスに気を使ってくれた。

合宿を再開して苦しい我慢の練習が続いた。「もうここからはこれ以上悪くなることはない」、「調子は上がっていくしかない」と自分に言い聞かせていた。 何よりも私の不安を消してくれたのは、初めて世界の舞台に立って戦えることへの楽しみだった。

他のチームメンバーも同じ時期に違う大会を目指していたため、全員がそれぞれの目標に向かい、練習も生活面もレベルの高い合宿になっていた。 日に日に身体の状態も良くなってきて合宿最後の5,000mタイムトライアルでは、標高1,800mの高地であるにも関わらず、1人で走って16分17秒で走ることができ確かな手応えを感じていた。

2009年ベルリン世界陸上競技選手権大会を三編に分けて振り返っています。是非、合わせてお読み下さいませ。

中編:2009年ベルリン世界陸上競技選手権大会レース回顧録[調整編]につづく


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