2019月07年19日
加納由理の歴史
小学生〜今
子供の頃から走ることが好きで、小学生で初めて大会に出場し、中学生から本格的に陸上競技を始め、高校では京都都大路で行われる全国高校駅伝を目指し、大学では駅伝での全国大会優勝と個人での全国制覇を目指してきました。
その後、資生堂に就職し、その後セカンドウィンドACを経て、再度資生堂に戻り、その後1年間個人で活動をしながら、ウィルフォワードと出会い今に至ります。
4月は新しい門出の時でもあり色んな時のことを思い出しますが、今回は大学時代のことを少し振り返りたいと思います。
加納由理の立命館大学時代
慣れない新しい環境
高校を卒業して、初めて家を出て、立命館大学経済学部のある滋賀県のびわこ・くさつキャンパス近くで新生活をスタートさせました。
私は新しい環境にすぐに慣れるタイプではなかったので、大学に入ってからも1年は環境になれる時間を要しました。なかなか思うように走れず、伸び悩み不安な気持ちでいたまま大学2回生に進学しました。
十倉コーチとの出会い
そこで現在も立命館大学女子陸上部のコーチである、十倉みゆきさんがコーチに就任し、練習をみてもらうことになりました。十倉さんの出す練習メニューは、「厳しい練習」というよりは「強弱がはっきりしたメリハリのある練習」と言った感じでした。
開花の片鱗
その練習方法が自分の体にマッチし、私は大学2回生の9月に行われる全日本インカレの女子10000mで2位に入ることができました。そして、同じ年の12月には5000mで初めて15分台となる15分52秒をマークしました。
流れに乗った私は十倉コーチに「来年7月のユニバーシアードのトラック種目で日本代表になりますので、よろしくお願いします!」と、宣言したのでした。
ユニバーシアードに向けて
トラックシーズン
春の選考会へ向け、冬場は走り込みと駅伝に積極的に出て経験を積みました。暖かくなり、 4月からはトラック競技に主戦場を移していきます。春季サーキットという実業団選手が参加するレースシリーズに出場し、トップ選手と肩を並べて走り、実戦の中で自分のレベルアップを図っていきました。
好調の兵庫リレーカーニバル
目標を持つことで、目標から逆算し、何をすべきかが明確になります。「絶対にユニバーシアードいく!」という想いが強かったこともあり、冬場は集中力高く質の高い練習を積んでくることができたこともあり、これまで10000mのベストタイムが33分33秒であったのが、4月の兵庫リレーカーニバルで32分39秒まで縮めることが出来ました。
昨年秋からのレースでの手応えを掴んでいたのが、冬場の走りこみにより一気に記録として開花したと感じました。
まさかの静岡国際陸上競技大会
しかし、好調は続かず、その10日後に行われた静岡国際陸上競技大会の5000mで16分10秒もかかってしまいました。
関西インカレはここから10日後でした。絶対外せないレースだと思っていたのに思い通りに走れなかったことで不安になりましたが、私はこのレースでの惨敗を修正するために、自分がこの何週間自分はどんな行動、練習をしてきたのを徹底的に振り返ることにしました。そして、改善できることを一つひとつどのようにクリアするのかを明確にしていき、残りの10日の過ごし方を考えました。
加納由理の1999年関西インカレ
関西インカレ5,000m
そして、迎えた5月の関西インカレ。 出場種目は5000mと10000mの2種目でした。
1日目に5000mです。レースでの作戦は合って無いようなものです。スタートからとにかく自分のペースで速いレース展開にすることです。
3000mの通過はほぼ自己ベストに近い9分23秒。それでも後半もたなくなるという不安はなく、結果スタートから終始ハイペースで自分のレースに持ち込み15分45秒の自己記録で優勝することができました。
関西インカレ10,000m
つづく10000mのレースは5000mから中2日です。 一回全力で走っている疲労は簡単には抜けません。2日間でやることは出来るだけ疲労を抜くことです。
やれることは一通りやって10000mのレース当日を迎えます。 5000mのように前半からハイペースで飛ばすわけにはいきませんが、スタートから先頭でレースを作っていきます。例え単独先頭の一人レースになったとしても1000mを3分15〜20秒のラップでいく設定でした。2000mから独走体制に入りましたが、自分のペースを貫き32分33秒で優勝することができました。
ユニバーシアードへのアピール
結果、2種目とも自己新記録で勝つことが出来、7月にスペインで行われるユニバーシアードの日本代表に向けて大きくアピールすることができたのでした。