2019月07年19日
2009年ベルリン世界陸上競技選手権大会を三編に分けて振り返っています。まだ[準備編]を読まれていない方はそちらからお読み下さいませ。
前編:2009年ベルリン世界陸上競技選手権大会レース回顧録[準備編]はコチラ
海外レースでの難しさ
アルバカーキからフランクフルトへ
アメリカニューメキシコ州アルバカーキでの最終合宿を終え、レースまで残り10日となった。一緒に合宿していたチームのメンバーと別れ、ここから数日は川越監督と2人での行動になる。 今回は海外レースなので日本へは帰国せず、そのままドイツの最終調整場所フランクフルトへ渡る。 フランクフルト空港から少し離れた郊外へ移動し、ここで5日間過ごし、その後ベルリン入りする予定になっていた。 ドイツは以前にもレースで来たことはあったが、フランクフルトは初めてだった。ドイツの田舎といった雰囲気の街はとても静かで、レースの前の静けさという感じだった。
地球を半周近くしたため、移動の疲労に加え、私を地味に苦しめたのはは時差調整だった。体内時計を早く戻したいのだが、眠気が襲ってくる。変な時間に寝ると夜に寝れなくなり体内時計は狂ったままになる。監督からは「昼間は寝るの我慢するように」と言われていたが、言われると余計に眠くなり、走っている以外は常に睡魔との戦いだった。
ベルリン世界陸上に向けた調整練習
フランクフルトでの調整練習
フランクフルトでの調整練習は、公園の土の柔らかいコースを使っての時間走、陸上競技場を使ったスピード練習などだった。競技場は常に使えるわけではないが、環境が変われば練習も臨機応変に対応しなければならない。
普段走っているコースではないので、正確な距離がわかるわけではない。距離とタイムを測った練習は非常に難しい。今でこそGarmin(ガーミン)などのGPS時計があれば世界中どこでもかなり正確に距離とタイムを知ることができるが、現役選手時代は今使っているようなガーミンの時計は持っていなかったため、自分のペース感覚を頼りにした距離走練習となる。スピード練習では身体がレースに向けて絞れてきているために、ちょっと気を緩めるとグンとスピードが出る傾向があったので抑え気味に走ることを心がけた。
レース前の重要な調整は実は身体だけではなく、レース本番用のシューズに足を慣らしておくことも大事である。練習、食事、睡眠、ケアと色んなことに神経を使いながら、丁寧に身体を仕上げていく。
フランクフルトでの食事
フランクフルトでの5日間はホテルでの食事であった。レース1週間前からはカーボローディングという1週間前から糖質を減らして、レース3日前くらいから糖質を中心とした食事に切り替えて体内に貯蔵するグリコーゲン量を高める食事方法をしたかったが非常に難しかった。なぜならばドイツでの食事には何にでもメインにポテトが付いてくるのである。しかし、ポテトは非常に糖質を多く含んでいるため食べるわけにはいかなかった。
そこで、監督のメインディッシュを私に分けてくれて、私のポテトを監督が食べるという感じになった。なので監督は数日間ポテト中心の食生活になっていた。
ベルリンでの最後の5日
ベルリンへ移動
レース5日前になったところでフランクフルトからベルリンへ飛行機で移動した。ベルリンからはコーチとトレーナーが合流し、4人での行動になった。女子マラソンは世界陸上競技選手権大会の最終日であったため、既に大会は始まっている。フランクフルトの静けさとは対照的にベルリンの街は世界選手権で賑やかになっていた。
まず、IDカードを作るために大会本部のあるホテルへ向かう。大会本部のホテルを出てすぐ、私たちの目の前を猛スピードでオープンカーが横切っていった。運転していたのは見覚えのある風貌の男性。何と数日前に男子100m走で9秒57という脅威の世界新記録を出したウサイン・ボルト選手(ガーナ)だった。こんなところでボルト選手に遭遇するとは思わなかったので、世界陸上という空気の中にいることが一気にリアルになった。
その後、日本選手団の宿泊しているホテルへと向かい、大会で使うウェアを受け取る。そして、やっと自分の宿泊先に到着する。今回の宿はマラソンスタート地点ブランデンブルク門近くのキッチン付きアパートである。ここが宿泊の拠点になる。
ベルリンでの宿
宿に荷物を置いたら軽くジョギング。アパート近くのティアガルテン公園で走る。緑も多く、土のコースで広くとても走りやすい。
ベルリンに着いてからの食事は、基本コーチが日本食を作ってくれた。 たった1週間ほど日本食が食べれなかっただけなのに、日本食が恋しくなっていたのでとてもうれしかった。
抜き打ちドーピング検査
レース3日前に急遽、抜き打ちのドーピング検査を受けるようにとの連絡が来た。血液をとっての検査であった。選手には基本断る権利はない。レース直前の血液採取は気持ちの良いものではない。「(血を)あんまりとらないでね」と思いつつも言われるがままに検査を受けた。
メイン会場ベルリン・オリンピアシュタディオンで最終調整
大会のメイン会場になっていた「ベルリン・オリンピアシュタディオン」は私の宿泊先からは電車を使わないと行けない場所にあったが、最終のポイント練習はメイン会場の隣にあるサブトラックを使ってやることにした。サブトラックのグラウンドにはこれからレースが始まるウォーミングアップ中の選手や私のように調整練習に来た選手たちが走っていた。
最終調整練習は1,000mを2本。ペースは3分10〜15秒/kmとし、遅すぎず、速すぎずという感覚で走った。
隣のメイン会場から世界陸上の熱気はサブトラックまで伝わってきていた。競技が行われていたので競技を見たかったが、2日後の自分のレースに集中しなくてはいけないので、見たい気持ちを抑えて宿泊先へ戻った。
レース前の記者会見
レース2日前の夕方にはマラソン代表の記者会見があった。ここで明後日一緒にレースを走る「尾崎好美さん」、「赤羽有紀子さん」、「藤永佳子さん」と顔を合わせた。みんな顔も身体も引き締まっており、「良い感じで仕上げてきたな」と私には見えた。今回は代表メンバーはみんな年齢が近いこともあり、会見前も談笑するなどしてリラックス出来ていた。
会見では1人1人、今回の目標、大会に向けてどんなトレーニングをしてきたかなどを話した。やはり、いつもの通り自分が練習量は一番少ないと思った。それでも、「目標はメダルを取ること。 最低でも入賞」と答えた。
ベルリン世界陸上男子マラソン
女子マラソンの前日は、男子マラソンのレースだった。 朝、軽くジョギングをして、雰囲気を見るためにも男子のレースを最初の方だけ見に行くことにした。
世界選手権はやはり人数が多い。それゆえにレース中の位置取りが非常に重要になってくる。自分の位置をとっておかないと、給水の時にロスするだけではなく取り逃しや転倒のリスクもある、またペースが急にあがったりと変動した時に対応が遅れ追い上げるのに余計なパワーを使ったりする。カーブを曲がる時に外側を走らされたりとマラソンの位置取りは非常に重要な戦略である。
男子マラソンの結果は、アフリカ勢が上位に独占だった。その中に私と同い年の佐藤敦之選手が6位に食い込んだ。
ベルリン世界陸上レース前夜
前日の食事
明日はいよいよレース当日。にも関わらず、意外と私は落ち着いていた。「やるべきことは全てやった。あとは力を出し切ることに集中するだけ」。前日の夜は、日本から応援に来てくれた母親からの差し入れのうなぎ蒲焼を白いご飯に乗せて食べた。
深夜のトラブル
そして、レース前夜の眠りに入った。が、数時間経った頃にかすかに目が覚めた。目が覚めた理由は自分の耳のまわりをブンブンと音を鳴らして飛ぶ1匹の蚊だった。既に何箇所か蚊に刺されていたのである。
かゆい・・・そして、気になる・・・
でも、さすがにレース前日はしっかりと寝ておきたい。夜中で申し訳ないと思いつつ、隣の部屋で寝ているコーチを起こして、コーチの部屋で寝させてもらうことにして、再度眠りについて。
ベルリン世界陸上当日の朝
朝はすっきりと目が覚めた。夜中はちょっと大変ではあったが、既にレースモードになっているためか、寝不足でも頭がボーッとしたりする感じはなかった。
朝はアパート周辺を歩きながら、「どこか痛いところはないか?」と身体の調子を確認する。そして、レース前最後の朝食をとる。白飯、餅、はちみつなど糖質中心の食事を食べた。
レースの準備は完了。ゼッケンとレース用のユニフォームとマラソンシューズがカバンに入っていることを確認して、11時のレーススタートの時間に合わせてアパートを出発した。
後編:2009年ベルリン世界陸上競技選手権大会レース回顧録[レース編]につづく